狙って吉を選んだとして。
『何を持って吉の効能とするか』
の判断は難しいです。
やむなく凶を選んだとして。
『どれが凶による災いなのか』
を限定するのは大変です。
特殊な能力や感性があるなら、
『あ、今、あのときの吉(凶)が作用した!』
と分かるかもしれないけれど、
少なくとも僕には、
そのような直感はありません。
僕に似たタイプの方は、
吉凶作用を自己判断しようとすると、
こじつけ・結び付けが始まってしまい、
より運を読み解きにくくなります。
例えば。
吉を盲信するあまり、
何でもかんでも吉のおかげと、
都合良く思い込むようになったり。
または凶を恐れるあまり、
箸が落ちても凶のせいと、
神経質に怯えるようになったり。
いずれも、典型的な運気の停滞。
感性の混乱であり過剰反応。
何をもって吉凶の影響とするか、
そこが分かりにくいがゆえに、
気になり、苦になり、
運が滞ってしまった結果です。
僕の場合の吉凶の受け止め方は、
食事をする感覚に似ています。
フルーツを食べた後、
ビタミンの効能を実感しよう、
と意識する方は少ないでしょう。
また、ポテトチップスを食べた後、
『あぁ、トランス脂肪酸が悪さしてるなあ』
とか実感できる人って少ないはず。
生きていくために食べるし、
楽しむために食べてる以上、
意識するのは栄養素の消化吸収より、
生きる方や楽しむ方のはずで。
消化吸収の営みの方は、
無意識下で行われるべきもので。
中途半端な経験と知識のみで、
運の作用を信じたり恐れたりするのは、
信じるにしても、恐れるにしても、
同じように危険です。
理屈は大切だけれど、
呼吸をするのに理屈は要らないでしょう、
そういう感じです。
もっと言ってしまえば。
成功することを前提にして吉時期に行動したり、
何としても幸せになるために吉方位に出かけたりしても、
思うように運は良くならないと思います。
それほどの強い願望・欲求に見合うほどの、
『個に都合良い効能』
は、この自然界には無いからです。
自然は自然の都合で、効能します。
僕達は、それらをプラスαの後押しとして、
一部、お借りするだけです。
語弊があるかもしれませんが、
→良く分からないけど
→何となく良さそうだから
→吉を選ぶ
って感覚の方が、正しいように感じます。
ある程度の意識は必要だけれど、
自分の力の及ばないところは、
無意識に預けるような感覚。
その期待感の薄い適当な姿勢は、
自然の効能と合いやすい。
僕はそんな感じで吉凶を受け入れています。
『せっかく良い時期に起こした行動なのに、何で上手く行かないの?』
『吉方位に行っているのに、どうしてトラブルがあるの?』
『良い家相に住んでいるのに、悩みや不安が普通にあるのはなぜ?』
そんな話を弊社スタッフから聞くことは皆無です。
みんな、そのために運を利用していないからです。
特定の限定された欲求や不安のために、
吉凶を常に意識して過ごしているわけではないのです。
おそらく、きちんと知識を学ばれた方にとってみれば、
そのスタイルは不真面目に見えると思うし、
そう指摘されたら、返す言葉もありません。
けれど、運という不確かな価値観と向き合う上で、
上記のような感覚は、
欠かすことのできないものであり、
吉凶の影響を意識するあまり生じる停滞を、
防ぐのに役立つと信じています。
それでは☆
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の判断は難しいです。
やむなく凶を選んだとして。
『どれが凶による災いなのか』
を限定するのは大変です。
特殊な能力や感性があるなら、
『あ、今、あのときの吉(凶)が作用した!』
と分かるかもしれないけれど、
少なくとも僕には、
そのような直感はありません。
僕に似たタイプの方は、
吉凶作用を自己判断しようとすると、
こじつけ・結び付けが始まってしまい、
より運を読み解きにくくなります。
例えば。
吉を盲信するあまり、
何でもかんでも吉のおかげと、
都合良く思い込むようになったり。
または凶を恐れるあまり、
箸が落ちても凶のせいと、
神経質に怯えるようになったり。
いずれも、典型的な運気の停滞。
感性の混乱であり過剰反応。
何をもって吉凶の影響とするか、
そこが分かりにくいがゆえに、
気になり、苦になり、
運が滞ってしまった結果です。
僕の場合の吉凶の受け止め方は、
食事をする感覚に似ています。
フルーツを食べた後、
ビタミンの効能を実感しよう、
と意識する方は少ないでしょう。
また、ポテトチップスを食べた後、
『あぁ、トランス脂肪酸が悪さしてるなあ』
とか実感できる人って少ないはず。
生きていくために食べるし、
楽しむために食べてる以上、
意識するのは栄養素の消化吸収より、
生きる方や楽しむ方のはずで。
消化吸収の営みの方は、
無意識下で行われるべきもので。
中途半端な経験と知識のみで、
運の作用を信じたり恐れたりするのは、
信じるにしても、恐れるにしても、
同じように危険です。
理屈は大切だけれど、
呼吸をするのに理屈は要らないでしょう、
そういう感じです。
もっと言ってしまえば。
成功することを前提にして吉時期に行動したり、
何としても幸せになるために吉方位に出かけたりしても、
思うように運は良くならないと思います。
それほどの強い願望・欲求に見合うほどの、
『個に都合良い効能』
は、この自然界には無いからです。
自然は自然の都合で、効能します。
僕達は、それらをプラスαの後押しとして、
一部、お借りするだけです。
語弊があるかもしれませんが、
→良く分からないけど
→何となく良さそうだから
→吉を選ぶ
って感覚の方が、正しいように感じます。
ある程度の意識は必要だけれど、
自分の力の及ばないところは、
無意識に預けるような感覚。
その期待感の薄い適当な姿勢は、
自然の効能と合いやすい。
僕はそんな感じで吉凶を受け入れています。
『せっかく良い時期に起こした行動なのに、何で上手く行かないの?』
『吉方位に行っているのに、どうしてトラブルがあるの?』
『良い家相に住んでいるのに、悩みや不安が普通にあるのはなぜ?』
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特定の限定された欲求や不安のために、
吉凶を常に意識して過ごしているわけではないのです。
おそらく、きちんと知識を学ばれた方にとってみれば、
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そう指摘されたら、返す言葉もありません。
けれど、運という不確かな価値観と向き合う上で、
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欠かすことのできないものであり、
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