忙しくて出汁が取れないときは、
別に出汁などなしでも、
または顆粒出汁(化学調味料)でも、
幸せは幸せです。


それが毎日の当たり前になってしまったら、
確かに、味覚は衰えるかもしれません。


また、忙しさを理由に、
食生活が乱れまくっているなら、
何らかの弊害は避けられないでしょう。


けれど。


毎日3食、常に出汁を引かずとも、
嬉しく楽しく暮らせるものです。


そこで無化調にこだわって、


『できない自分』
『やらない他人』


を必要以上に追い込み、
鬼の首を取ったかのように責める方が、
よっぽど不幸せです。


できない自分を過小評価する、
そのときの心の状態は、
運気停滞の典型例です。


やらない他人をこれでもかと責め、
自らの正義を振りかざすその人の顔は、
下品で醜く、とても幸せそうには見えません。


出汁を大切にする暮らしを、
凶だと言いたいわけではありません。


ただ、忙しいときに出汁が取れなくても、
人は幸せでいられるということです。


そして。


運も同じです。


難しい吉を追い求め、
その他の選択肢を全て拒否し、
自分や他人を責めることになるのは、
幸運とかけ離れたことです。


理想の完璧な吉だけを吉とし、
それが現実的に難しいとき、
次善の策を選ぶことを許さず、


『できない自分』
『できない他人』


を見つけて攻撃する人が、
意外にも多くて驚きます。


その行為そのものが、
自らの運を傷つけていることは、
おそらく自覚できていないのでしょう。


そうして、より理想の完璧を求め、
どんどん運を停滞させていく悪循環。


念のため、確認しておきます。


それが現実的に無理がなく、
分相応な吉であるならば、
理想の最高に越したことはありません。


僕も常に、そこを狙って努力します。


けれど。


自分の予定や体調、
その時点での予算や体力、
または人間関係や責任を考慮した上で、


『かなり無理がある』


と判断したときは、迷わず狙いを変えます。


その次に良い吉を探し、選びます。


その次の吉さえ難しい場合は、
更なる次善の策を選びます。


その作業は、無理がなくなるまで、
際限なく続き、妥協を重ねます。


その結果、最終的に選んだものが、
理論上は凶となってしまうこともあります。


外から見れば、ダメな選択です。


それでもなお、僕は、避けます。


無理を伴う分不相応な非現実的理想の吉を。


別の言い方をすると。


理想の吉を手に入れるための代償として支払う、
無理や迷惑や消耗や浪費や痛みこそ、
何より避けるべき凶とします。


できることを、できるだけ。


できるんだったら、努力するだけ。


ここまでは、多くの専門家と同じ意見。


一方。


できないことをやろうとするのは凶。


できないのに無理をするのは凶。


この当たり前の基本を、
人は時々見失うので、
定期的に思い出して吉。


それでは☆