初めましての方は、初めまして。
そうでない方は、改めまして。


西敏央(にし としひさ)です。
群馬県富岡市にある、有限会社西企画にて、
代表取締役をしています。


ブログへのご訪問ありがとうございます。


僕が書くこのブログとは、
いったいどんなものなのかに関しては、
以前、以下のエントリーにてご紹介しました。


★西敏央が書くブログの主題と分類1
★西敏央が書くブログの主題と分類2


それとは別にこのエントリーでは、
僕自身のもう少し詳しいプロファイルを。



西敏央の表の顔

生まれも育ちも群馬県桐生市。


光保育園、相生保育園を経て、
天沼小学校からの相生中学校。


群馬県立桐生高等学校から、
立川代ゼミ1年間の、
早稲田大学政治経済学部政治学科。


大学は5年生で中退しました。


血液型はB型。
周囲の友人もなぜかB型多し。


血液型占いのことは、
恥ずかしながら良くわからないのですが、


『Bだと思ったぁ』


と良く言われるので、
典型的なB型のようです。


5月14日生まれの牡牛座で、
ホロスコープのことは全く分かりません。


詳しい方は、牡牛座の特徴で、
何となく僕を想像してください。


小学生3年生から中学までは軟式野球。
高校生では3年間硬式野球を。


また泳ぎも得意で、バタフライできます。


業務上の主な役割は、


1.講座・講演において運の知識をご紹介する講師
2.毎年発行している運勢手帳『こよみ』の著者
3.電話や対面にて運の吉凶をご提案する鑑定師


の3つです。


著書には、青春出版社様より、


運をひらく季節の作法 ー暦のある豊かな暮らしー


というやつがあります。
キュートなイラストが素敵な本です。


出没する主な活動拠点は、
群馬県富岡市と東京都千代田区。


そのどちらでも毎月定期的に、
無料講座をやっています
興味のある方は是非。


大型自動二輪の免許を持っていて、
愛車はHONDA GB250です。

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しばしばblogにも登場する猫は、
“子鹿の”シャンピエントフという名前です。
命名の由来は、夢のお告げです。

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運の知識に関しては、
実はここだけの話、
そこまで深く勉強していません。


研究論文みたいなものはないし、
権威ある流派のお免状などもありません。


ウィキペディアに書き込む方や、
Yahoo!知恵袋で回答する方などの方が、
よほど専門的な情報をお持ちのはずです。


けれど。


運のある暮らしというキャリアは、
なかなかのものがあります。


何なら生まれる前から、
六白金星狙い撃ちの計画出産。


日常会話の中で当たり前のように、
家相や方位の吉凶が登場する家で成長。


幼少時から今まで全ての節目で、
運を基準に未来を選んできました。


だから、


『リアルライフの中で運を活かす方法』


には一日の長があるだろうし、
現在もなお自分の人生を差し出し、
吉凶の影響力を実験中です。


そういう意味で、僕の用いる、


★運勢学
★方位学
★家相学


などは、生身の実感がこもっています。


中でも特に、九星学に関しては、
既存の定番とは異なる独自視点と、
長い年月をかけて培ってきた応用手法があり、
自信を持ってご提案しています。


とまあ、長々とここまで書いてきたことは、
ブログエントリーやツイートや講座を通し、
ご紹介してきたことです。


その気になって、


『西敏央』


でネット検索をしていただいたら、
バレバレのことばかりです。


ここから先は、あまり表に出すことのない、
というか裏にしまっておくのが普通な、
僕のプライベートなプロファイルに関して。


何者でもなかった青春時代

本来、家業を継ぐ予定は、
全くありませんでした。


両親の期待は薄く感じていたものの、
自分にそのつもりがありませんでした。


そもそも運の知識とは、
吉凶鑑定により生活をしていくためではなく、
自分の仕事や交際や生活を、
より良く進めるためにあるものです。


若い頃から、自分の暮らしの中で、
運の知識を便利に活かしてはいましたが、
それを仕事にし、お金を儲けるのは、
子供ながらに違和感があったことを覚えています。


小中学校の頃の卒業文集にも、


『将来は欽也の後を継いで占い師になります!』


みたいなことは一切出てきません。


ロックンローラーとして、
曲を作って演奏して生活できたらなあ、
と考え25歳まで東京で悶々としていました。


BLANKEY JET CITY(ブランキージェットシティー)


という名前のバンドが、
とにかく好きで。


それが自分の主成分になってしまって。
そういう音楽や演奏がやりたくて。


ベルばらのオスカルのような、
巻き髪の金髪ロングヘアにピアスを空けて、
実家に帰省をしたときは、


『2度と帰ってこなくて良い』


と感動していただいた、いや違う、
勘当されてしまったこともあります。


そんなロクでもない自分が、
楽々と成り上がっていけるほど、
甘くないのが世の中というやつで。


何もかも上手く行かなくて、


『どこから間違ってしまったんだろうなあ』


とか何とか言いながら、
自分なんて何者でもないことに、
気づかされてしまって。


そんなとき、両親から電話があって。


『今年なら、帰ってこい(時期も方位も良いから)』
『次の機会は、10年後だ(時期も方位も悪いから)』


ということになって。


その頃は、アパートの家賃も払えず、
どうにも生活できなくなっていたので、


『まあ、いっか』


なんて流されるように群馬に逃げ帰りました。


ある日ふとやってきた転機

群馬に帰ってからもしばらくは、
昼夜逆転のニート生活が続きます。


形だけは西企画に入社し、
講座のときのみ、
運転手として欽也に同行。


それ以外の時間は、曲作りをしたり、
こちらで組んだバンドでスタジオに入ったり。


ちゃんと仕事をしてしまうと、
もう自分らしい道には、
戻れないような怖さに怯える日々。


そんな中途半端な状態を、
1年以上は続けたはずです。


その頃、同級生はしっかりキャリアを重ね、
結婚をしたり、起業をしたり、
中には世界を舞台に、
大活躍するようなやつもいて。


自分だけが富岡という、
世界の端っこのクソ田舎で、
埋もれていくような気がして。


何をどうしたら良いか分からなくて、
色々ともがいてはみるものの、
どれも上手く行かなくて。


そんなドン詰まりの状態にあるとき、
夜の講座へ向かう車の中で、
助手席の欽也から、なぜか、
ポロっと言われたんですよね。


『1つ選んでみな』
『そこから始まるから』
『選んだら終わっちゃうと思ってるんだろ?』
『違うよ、選ぶから始まるんだよ』
『何でも良いから1つ選んでみな』


その言葉で、道が開けたんですよね。
ずっと塞がっていたはずの道が。
パカっと一瞬で、どういうわけか。


そこでようやく、


『ああ、これが彼の仕事なんだろうなあ』
『これを求めて、彼の所に人が集まるんだなあ』
『そういう役割を果たしてきたのかあ、西欽也は』


と、色々と腑に落ちまして。


そこからは、紆余曲折ありながらも、
おおむね、今の僕で生きています。


あそこからは、ほとんど変わらず、
この僕でブログや講座を続けています。


今にして思えば、あれが転機でした。


救うでも導くでもなく

西欽也は、対面鑑定に関しては、
天から与えられた才があるようです。


講座や講演はいまいちだし、
文章を書かせてもセンスが感じられず、
ダメ出しし始めたらきりがないので、
最近はもう見ないようにしているほどですが、
人を目の前にしての運気鑑定だけは、
時々、凄みを感じるときさえあります。


その才能、僕にはありません。


僕は鑑定より、講座の方が得意だし好きです。


重い二日酔いの朝でも、講座があるなら、
目が覚め背が伸び、頭が働きます。


こよみに掲載するための運勢鑑定も、
時々、自動書記モードに入ることがあって、
これもやっぱり、天職だと自負しています。


だから僕には、残念ながら、
鑑定によって誰かの人生を救ったり、
未来への道を指導したりするのは無理そうです。


そうではなくて。


運の考え方や活かし方を、
より多くの人に伝えたいです。


そのために講座に立ちブログを書きます。


西欽也が創った西企画。


そこにある運の知識は、
他とはちょっと違います。


ちょっと違うけれど、なかなか良いのです。


でも、西欽也はブログを書けないし、
講座もいまいち分かりにくいから、
そこは僕の独壇場です。


救えないし導けないけれど、
僕の発信する情報で安心してもらえたら、
とても嬉しいです。


それでは☆