縁という運は、
切ろうと思っても、
切れないものです。
また、繋げようと思ったところで、
自由に繋がらないものでもあります。
縁の接合・断絶は、いわゆる、
『神仏の領域』
であり、運命のブラックボックスです。
太くなったり細くなったりはします。
近くなったり遠くなったりもします。
それらの調整ならば、意識的に可能です。
けれど、自由に切り貼りすることはできません。
繋げようと思って繋がるものではないし、
切ろうと思って切れるものではないのです。
『今、繋がった』
と実感した縁があったとして。
それ、実際は、
『今、太くなった・近くなった』
こそが正しい表現です。
前は見えないほど細かったものが、
太くなっているということです。
または遠く感じていた存在を、
近くに感じられるようになっただけです。
それは意識する前から、
ずっと繋がってはいたし、
仮にこの先、切れたように感じることがあっても、
ずっと繋がっていきます。
『今、切れた』
と自分では感じた縁て、実際は、
『今、細くなった・遠く離れた』
が正しい表現です。
なにかをきっかけにして、
見えないほど細く遠くなったとしても、
それが切れてしまうことはありません。
連絡を絶ち存在を無視しすることで、
切った“つもり”になることは可能です。
向こうが追いかけてきたならば、
こちらは逃げれば離れられます。
でも切れはしません。
縁という運は、
生まれる前から繋がっていて、
死んだ後も繋がっていく、
という考え方は、昔から存在します。
『袖振り合うも他生の縁』
というやつです。
Reincaration(リインカーネイション)
という単語もあるのだから、
西洋においても存在する概念のはず。
(輪廻転生というやつです)
前世や来世も含んだ因縁とは、
古今東西、共通の感覚です。
縁が繋がっている場合は、
さらにそこに強弱があり、
かつ太さや細さがあります。
逆に。
ない縁は、ないです。
前世から来世にいたるまで、
全く交わることのない縁、
というのも、あるということです。
そう考えると、何となく、
理不尽で寂しい気もしますが、
神仏の運命的領域なんてそんなものです。
ところで、例えば。
現代において、多くの人が、
当たり前に利用しているSNSでは、
人と人との関係性を“繋がり”と表現し、
切ったり繋いだりをクリックで操作するでしょう。
それって、まるで人間ごときが、
縁を制御できるかのように、
錯覚しやすくなってしまうと感じませんか?
縁のオンオフが自分の手に委ねられている、
そんな風に勘違いするのは、危険です。
切れないものは切れません。
繋がっているなら、繋がっています。
そこは制御不能です。
SNS上での繋がりおいて、
『縁を切りたい(正しくは、離したい)』
と望むならば、
どんなサービスにも備わっているであろう、
固有のプライバシー設定を見直せば良いことです。
それで情報公開範囲や連絡条件を、
任意で設定できるはず。
リアルライフにおいては、
離れる(距離を置く)のが最も有効です。
1.相手との間に十分な空間を置く。
2.相手との接触の頻度を減らす。
3.相手との接触時間を減らす。
上記のような工夫によって、縁は離れます。
けれど。
切れることはありません。
だから、切るために頑張らないで吉。
切ることを望まないで吉。
切れないことを悩まないで吉。
太さと近さと強さを制御する。
それで縁を整えて吉。
それでは☆
ご質問はこちらのリンク先のコメント欄へ
★Twitterはこちら
毎日の運勢や個人的に気になる出来事など、
身近な偶然の必然をつぶやいています。
フォローしていただけると嬉しいです☆
切ろうと思っても、
切れないものです。
また、繋げようと思ったところで、
自由に繋がらないものでもあります。
縁の接合・断絶は、いわゆる、
『神仏の領域』
であり、運命のブラックボックスです。
太くなったり細くなったりはします。
近くなったり遠くなったりもします。
それらの調整ならば、意識的に可能です。
けれど、自由に切り貼りすることはできません。
繋げようと思って繋がるものではないし、
切ろうと思って切れるものではないのです。
『今、繋がった』
と実感した縁があったとして。
それ、実際は、
『今、太くなった・近くなった』
こそが正しい表現です。
前は見えないほど細かったものが、
太くなっているということです。
または遠く感じていた存在を、
近くに感じられるようになっただけです。
それは意識する前から、
ずっと繋がってはいたし、
仮にこの先、切れたように感じることがあっても、
ずっと繋がっていきます。
『今、切れた』
と自分では感じた縁て、実際は、
『今、細くなった・遠く離れた』
が正しい表現です。
なにかをきっかけにして、
見えないほど細く遠くなったとしても、
それが切れてしまうことはありません。
連絡を絶ち存在を無視しすることで、
切った“つもり”になることは可能です。
向こうが追いかけてきたならば、
こちらは逃げれば離れられます。
でも切れはしません。
縁という運は、
生まれる前から繋がっていて、
死んだ後も繋がっていく、
という考え方は、昔から存在します。
『袖振り合うも他生の縁』
というやつです。
Reincaration(リインカーネイション)
という単語もあるのだから、
西洋においても存在する概念のはず。
(輪廻転生というやつです)
前世や来世も含んだ因縁とは、
古今東西、共通の感覚です。
縁が繋がっている場合は、
さらにそこに強弱があり、
かつ太さや細さがあります。
逆に。
ない縁は、ないです。
前世から来世にいたるまで、
全く交わることのない縁、
というのも、あるということです。
そう考えると、何となく、
理不尽で寂しい気もしますが、
神仏の運命的領域なんてそんなものです。
ところで、例えば。
現代において、多くの人が、
当たり前に利用しているSNSでは、
人と人との関係性を“繋がり”と表現し、
切ったり繋いだりをクリックで操作するでしょう。
それって、まるで人間ごときが、
縁を制御できるかのように、
錯覚しやすくなってしまうと感じませんか?
縁のオンオフが自分の手に委ねられている、
そんな風に勘違いするのは、危険です。
切れないものは切れません。
繋がっているなら、繋がっています。
そこは制御不能です。
SNS上での繋がりおいて、
『縁を切りたい(正しくは、離したい)』
と望むならば、
どんなサービスにも備わっているであろう、
固有のプライバシー設定を見直せば良いことです。
それで情報公開範囲や連絡条件を、
任意で設定できるはず。
リアルライフにおいては、
離れる(距離を置く)のが最も有効です。
1.相手との間に十分な空間を置く。
2.相手との接触の頻度を減らす。
3.相手との接触時間を減らす。
上記のような工夫によって、縁は離れます。
けれど。
切れることはありません。
だから、切るために頑張らないで吉。
切ることを望まないで吉。
切れないことを悩まないで吉。
太さと近さと強さを制御する。
それで縁を整えて吉。
それでは☆
ご質問はこちらのリンク先のコメント欄へ
★Twitterはこちら
毎日の運勢や個人的に気になる出来事など、
身近な偶然の必然をつぶやいています。
フォローしていただけると嬉しいです☆
西企画ってどんな会社?
西敏央ってどんな人物?
いったいどこの馬の骨?
そこが引っかかる方へ。
★西企画の西敏央とは ー意外に怪しくはない存在ー
運の鑑定のご依頼や、
運の講座へのご参加で、
不明点や不安点がある方へ。
★西敏央がお役に立てる分野とご依頼方法
西敏央ってどんな人物?
いったいどこの馬の骨?
そこが引っかかる方へ。
★西企画の西敏央とは ー意外に怪しくはない存在ー
運の鑑定のご依頼や、
運の講座へのご参加で、
不明点や不安点がある方へ。
★西敏央がお役に立てる分野とご依頼方法
コメント