
予定通り手に入る美味しさや楽しさは、
確かに安定的で安心な幸運ですが、
『計算外に手に入る思わぬ嬉しさ』
は、それを上回る偶然の必然性があります。
本物の幸運と良縁は、予測も制御も不可能です。
自分の実力の領域の外から飛び込んできます。
だから、運や縁に過剰な演出は不必要だし、
あんまり操作しようと頑張り過ぎるのは逆効果であると考えられます。
本当に大切な運命や運勢は、たまたまの偶然を装ってやってきます。
起こるべくして起こる偶然。
これを偶然の必然とします。
ところがこの偶然の必然は、何でもないフリしてやってくるので、
豪華絢爛な装飾を伴うドラマやミラクルをイメージしていると、
気付けないまま見過ごし、逃してしまうことが多いです。
ドラマチックな必然を装った単なる偶然の方にばかり目が行く場合、
勘違いや間違いが起こるリスクさえあります。
さらに残念なのは、予測と制御が可能な小さなラッキーで終始し、
本物の幸運と良縁まで辿り着けないというのもあります。
偶然を装った必然と、必然を装った偶然。
偶然の必然と、必然の偶然。
大切なのは偶然の必然の方だけれど、
目立つがゆえに気を取られやすいのは必然の偶然の方。
そこは分別をして吉。
出会うべくして出会う人というのは、
出会おうとして出会った人ではないはず。
欲しくて手に入れたものより、自然と手に入ったものにこそ縁はあるはず。
人生設計や価値観や想像とは無関係に押し寄せる、
理由のない何かというのに、意味を見出せるかどうか。
そこが分かれ道になると思います。
小説・映画・テレビなど、何でもそうですが、
いかにもわざとらしい過剰な演出は、不自然です。
事実は小説より奇なりと言いますが、それは、
『リアルライフにだって不自然なヤラせはあるよ』
という意味ではないでしょう。
さりげない自然な流れの中でこそ、意味ある物事は進みます。
それは自分が描いた物語や、自分の望む未来とは、
必ずしも同じとは限りません。
出会うべくして出会う人というのは、
出会いたくて出会った人とは限らないし、
予定通り会ったわけではないし、思い通り会ってくれたわけでもない。
それでも出会うときは出会うのが、縁です。
そういう計算外や計画外に、自信を持って吉。
それが、価値ある偶然の必然だと思います。
それでは☆
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《西企画の日常:ふくろうストラップ》
秩父神社のお土産をいただきました。
北辰の神の使い、フクロウのストラップです。

携帯電話に装着しました。
秩父神社や、その周辺のみやのかわ商店街は、
ふくろうがあちこちに溢れています。
今年のラッキーアイテムであるフクロウを探しに、
是非、訪れてみてください。
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