
吉は選択の目安。
凶は対処の目安。
選ぶのに迷ったら吉を探すのがお勧め。
凶を選んだら対処するのがお勧め。
これが吉凶という運の判断基準の、
存在意義であり運用方法です。
それ以上でもそれ以下でもありません。
吉を妄信しないこと。
凶を恐れないこと。
判断基準に振り回されるのは、
それ自体が、運の悪いことです。
例えば。
吉方位へ行くことは吉だけれど、
吉方位へ行かない人を否定するのは凶。
凶方位を避けることは吉だけれど、
凶方位へ行く人を非難するのは凶。
なぜならば。
吉方位以外にも人生の選択肢はあるからです。
また、凶方位へ行くことが凶なのではないからです。
そこに必要性と必然性があるならば、
吉方位へ行かないこともまた吉。
そして本当に避けるべきなのは、
凶を選んだまま対処をしないことです。
中には、吉や凶より作用が大きい、
大吉や大凶という運もあります。
その場合。
大吉とは、特にお勧めだけに何とか選びたい選択の目安。
大凶とは、より多くの対処が必要であることを示す目安。
それでもなお、大吉は、
絶対選ばなければならない制約ではありません。
もちろん、大凶だって、
選んだら死ぬ、なんて怖さはありません。
そこで大吉を選ばないということは、
相当の選べない理由がある、ただそれだけのこと。
また、大凶を選んでしまったということは、
相当の対処が必要になるだけのこと。
迷ってないなら無理をして大吉を選ぶ必要なし。
十分な対処ができるならば、
大凶だって恐るるに足らず。
中には、大大吉や大大凶も、まれにあります。
そうなると、つい、僕も人情や感情が顔を出してきて、
大大吉を強くお勧めしてしまったり、
大大凶を何とか避けられないか、
しつこくご提案すること、あります。
だからと言って、やはりそれは、
制約でも限定でも強制でもありません。
大大吉であってさえ、
他に理由があるなら、選ぶ必要なし。
大大凶でも、より多くの相当な対処が可能なら、
選んでこそ自分の人生。
そう考えると。
それが時期であろうが方位であろうが、
お神籤であろうが縁であろうが、
吉凶とは選択と対処の目安であり、
単なる判断基準。
それ以上でもそれ以下でもありません。
たかが判断基準に縛られるのは残念。
何を選んでも、自分は自分。
吉や凶は、強制的な確定事項ではありません。
そこだけは勘違いせず、自分らしく活かして吉。
それでは☆
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コメント
コメント一覧
大凶の運を大吉にするべく、、
選択を思案中なのですが…
不安定ながらも今の現状維持でいくかどうか
一歩の勇気が踏めない自分のもどかしかに
へこんでいます。
今は悩んでもいいのかな?
この記事を読んで、悩むのもいいのかなと
思ってきました。
時間かけよう…
大きな勇気が出ずに躊躇しているとしたら。
それは無理な課題に手を出そうとしている恐れあり。
そっちへ行く前に、小さな勇気で済むような課題と向き合って吉。