不成就日:何をやっても成就しない凶日。
一粒万倍日:何を始めるにも良い吉日。
それぞれ、主に事始めの良し悪しに関わるとされる、
暦の上での目安であり、選日や雑注と呼ばれるヒント。
中には、不成就日でかつ一粒万倍日という日もあって。
シンプルに字面だけで考えると、
事始めに悪い日でかつ事始めに良い日、
と矛盾も感じる暦の並びです。
これをどう読み解くか?
複数のサイクルが同一タイムラインに掲載されるのが暦です。
なので、上記のような、一見、矛盾したことは、良くあります。
場合によってはそこに大安や仏滅、新月や満月なども絡んできます。
さらに時期や方位の吉凶を重ねていくことも可能です。
知識とは、複雑にしようと思えば、いくらでも難しくできます。
でも、まずは変に理屈っぽくかんがえず、単純にいくと、
・事始めに良い日
・事始めに悪い日
が重なる、タイミングとなるでしょう。
それが重なる矛盾したケースは、もちろん先人もご承知で、
1.重なったら一粒万倍日の方が上
2.重なったら2つが相殺
3.重なったら不成就日の方が上
など、それぞれの流派が独自の判断基準を持っているようです。
ちなみに。
僕の考え方としては、どっちが上とか下とか、
正統な考え方とか、より伝統的な答えだとかは興味がなく、
『もっと分かりやすく良い日があるはずだから、別の候補を探すわ』
となります。
矛盾した日が良いか悪いかを追求しなくても、
矛盾しない良い日があるはずなので、
そちらを探し選ぶのが良いと思います。
また、今、自分が日を選ぼうとしているのは、
はたして何のためなのか?という、そもそもの目的を、
改めて見つめ直し、そこからヒントを探るのも良いと思います。
例えば。
不成就日や一粒万倍日、甲子の日や大安や仏滅は、
主に物事を始める際のタイミングの吉凶に、
より強く関わるものとされます。
なので、方位の効能とは、あまり関係ありません。
吉方位を利用とする時に、
『不成就日だからダメ?』
ということは、ないです。
凶方位へ行かねばならない時に、
『一粒万倍日だから大丈夫でしょ?』
というのも誤解です。
移動における方位の吉凶の増幅、または抑制を目的とするならば、
方位選びの目安を探す必要があります。
さらに。
『絶対その日にやるしかない』
『もうその日が確実に確定した』
『すでにその日にやってしまったという事実がある』
という場合。
その他の可能性がなく、すでに選択肢が限定されているというのは、
縁という運の法則による、偶然の必然というやつです。
そこでやるしかないことは、そこでやるのが、
偶然を装った必然の定めです。
にも拘らず、その日の暦を目にした時に、
『不成就日だわ』
『仏滅だけど大丈夫かな』
『うわ、よりによって三隣亡』
とかなんとか言いながら余計な心配を抱えるのはノーセンス。
無駄な知識の使い方だと思います。
より影響力の強い、偶然の必然という大きな運の流れを無視し、
より影響の小さな、些末な問題に囚われるのは、
骨折り損になるので避けて吉。
いずれにしても。
こよみとは、選べる人が選択に迷った時の参考書。
『この日でなければならない』
『この日であってはならない』
と、それを読んだ人が誤解をし、不自由になるのは、個人の自由。
けれど、こよみが自ら人の未来を限定し制限することはありません。
様々なロジックや流派があったとしても、
そこは明確に意識し続けると安心だと思います。
それでは☆
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一粒万倍日:何を始めるにも良い吉日。
それぞれ、主に事始めの良し悪しに関わるとされる、
暦の上での目安であり、選日や雑注と呼ばれるヒント。
中には、不成就日でかつ一粒万倍日という日もあって。
シンプルに字面だけで考えると、
事始めに悪い日でかつ事始めに良い日、
と矛盾も感じる暦の並びです。
これをどう読み解くか?
複数のサイクルが同一タイムラインに掲載されるのが暦です。
なので、上記のような、一見、矛盾したことは、良くあります。
場合によってはそこに大安や仏滅、新月や満月なども絡んできます。
さらに時期や方位の吉凶を重ねていくことも可能です。
知識とは、複雑にしようと思えば、いくらでも難しくできます。
でも、まずは変に理屈っぽくかんがえず、単純にいくと、
・事始めに良い日
・事始めに悪い日
が重なる、タイミングとなるでしょう。
それが重なる矛盾したケースは、もちろん先人もご承知で、
1.重なったら一粒万倍日の方が上
2.重なったら2つが相殺
3.重なったら不成就日の方が上
など、それぞれの流派が独自の判断基準を持っているようです。
ちなみに。
僕の考え方としては、どっちが上とか下とか、
正統な考え方とか、より伝統的な答えだとかは興味がなく、
『もっと分かりやすく良い日があるはずだから、別の候補を探すわ』
となります。
矛盾した日が良いか悪いかを追求しなくても、
矛盾しない良い日があるはずなので、
そちらを探し選ぶのが良いと思います。
また、今、自分が日を選ぼうとしているのは、
はたして何のためなのか?という、そもそもの目的を、
改めて見つめ直し、そこからヒントを探るのも良いと思います。
例えば。
不成就日や一粒万倍日、甲子の日や大安や仏滅は、
主に物事を始める際のタイミングの吉凶に、
より強く関わるものとされます。
なので、方位の効能とは、あまり関係ありません。
吉方位を利用とする時に、
『不成就日だからダメ?』
ということは、ないです。
凶方位へ行かねばならない時に、
『一粒万倍日だから大丈夫でしょ?』
というのも誤解です。
移動における方位の吉凶の増幅、または抑制を目的とするならば、
方位選びの目安を探す必要があります。
さらに。
『絶対その日にやるしかない』
『もうその日が確実に確定した』
『すでにその日にやってしまったという事実がある』
という場合。
その他の可能性がなく、すでに選択肢が限定されているというのは、
縁という運の法則による、偶然の必然というやつです。
そこでやるしかないことは、そこでやるのが、
偶然を装った必然の定めです。
にも拘らず、その日の暦を目にした時に、
『不成就日だわ』
『仏滅だけど大丈夫かな』
『うわ、よりによって三隣亡』
とかなんとか言いながら余計な心配を抱えるのはノーセンス。
無駄な知識の使い方だと思います。
より影響力の強い、偶然の必然という大きな運の流れを無視し、
より影響の小さな、些末な問題に囚われるのは、
骨折り損になるので避けて吉。
いずれにしても。
こよみとは、選べる人が選択に迷った時の参考書。
『この日でなければならない』
『この日であってはならない』
と、それを読んだ人が誤解をし、不自由になるのは、個人の自由。
けれど、こよみが自ら人の未来を限定し制限することはありません。
様々なロジックや流派があったとしても、
そこは明確に意識し続けると安心だと思います。
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コメント
コメント一覧
2015年も益々ご活躍ください!
去年の暮れに一年の労を労い温泉旅行に行きました。
その温泉になぜか「暦」が売っていて(よく見る高〇易〇)
ずいぶん前からこの温泉は来ていましたが初めて見ました。
珍しさも手伝い、暦の勉強になるしと思い一冊購入しました。
「不成就日」「一粒万倍日」確かに書いてあります。
知りませんでした!けっこうマメにある日?ですね。
個人的に久しぶりの同窓会と「不成就日」が重なるのが
なんだか気にいらないなと。いえ別に何でもないですが
なんとなく新年早々おもしろくないなと思ったのですが
神がかりなタイミングで先生が記事を書いてくださって
おかげで変に惑わされずに(暦に)済みそうです。
今年も先生のステキな神通力をよろしくお願いします!
本当にタメになっております。
マダム笑むさん
明けましておめでとうございます。
> 神がかりなタイミングで先生が記事を書いてくださって
> おかげで変に惑わされずに(暦に)済みそうです。
タイムリーなエントリ−ができたようで良かった。
暦の情報は、あくまでヒントであり支え。
惑わされる必要は一切無し。
きっと素敵な同窓会になるので、縁の力を信じて楽しんで吉。