もっと自分の運に自信を持って良い、という時、あると思います。
鑑定という名目で、多くの方からご相談をいただく日々の中で、
『大丈夫、もっと自分に自信を持って!』
『客観的に見て、あなたの言動は、とても良い!』
『今の自分、信じる価値が十分にある!』
と感じること、しばしばあります。
そういう時は、鑑定結果も、非常に簡素で、
『仰る通りで、問題はないです』
『それで、良いと思います』
『その通りです』
で、終了。
もっと、背後霊とか凶運の未来だとか、
呪いの注意事項だとかを期待されているのかもしれませんが、
文句の付け所がないので、何も言うことはありません。
そこで、足りないのは、自分の運を信じる心だけです。
無謀や乱暴や非常識や夢物語を語られた場合は、
運を抜きにして、まず前提の時点で全く大丈夫ではないので、
そもそもの基礎部分から再確認が必要となります。
そうではなく、自分なりの精一杯で、その時点での正しさで、
一生懸命目指す未来なら、自分の運を信じて良いと思います。
子のために成す親の決断の全ては、正解だと思います。
今、上手くいかなかったとしても、人生という単位で見れば、正解です。
相手を思ってかける言葉に、間違いはないはずです。
仮にそれで相手が怒ってしまったとしても、運は悪くないです。
会社のことを真剣に考えて出した結論ならば、
それが経営者であろうが、従業員であろうが、
そんなことは関係なく、それこそが、今の答えです。
後から結果だけ見て吉だの凶だの言うのは、誰だってできます。
そこに知性や感性や分析力は不必要です。
無関係で無責任なバカほど好き勝手言います。
そんなの野次に一喜一憂するカロリーは無駄。
正解を知った上で生きれる人生なんてありません。
そんなの、神様だけができることで。
僕達が可能なのは、正解を探し見つけ選ぶことではなく、
今、目の前にある様々な可能性と、誠実に向き合い、
真剣に考え、勇気を出して一歩踏み出すことだけです。
それができたならば、そこから先は、自分の運を信じて吉。
それができていないならば、根拠のない自信に甘えず、
信じられるまで向き合い、考え、踏み出すまでのこと。
結果として、後になって、それが正解だったならば、
それはとても素敵なことだし、確かにご機嫌。
けれど、不正解だったということが分かったとしても、
それを不運だと思うのは誤解です。
無謀で乱暴な生き方により掴んだ正解より、
計画的に積み上げた結果の不正解の方が、運は良いです。
一時的には、正解による恩恵を得したように感じるかもしれませんが、
大きな目で見ると、その一時的恩恵は、未来の禍根となり得ます。
自分の運を信じて歩んだ道の先にある失敗や問題は、
一時的に損害を出したとしても、総合的には利益に繋がること、
非常に多いです(経験的に知っている方、いっぱいいるはず)。
過激な例えをするならば。
勉強しないで挑んだ受験は、下手に合格するより、
落ちてしまった方が運に良いということ、あります。
勉強して挑んだ受験は、仮に不合格だったとしても、
必ずしも不運とは限らないし、そこからの展開を期待できます。
企業努力しない会社は、偶然儲けるより、
ちゃんと業績不振になった方が、
その後の運の流れを整えやすくなります。
相応の企業努力の上で進めた事業が、
計画通りに利益を出さなかったとしても、
帳簿に載らない幸運を十分に享受すること、可能です。
無礼で自分勝手な言動で、たまたま仲良くなれてしまった人間関係は、
いずれどこかで破綻し、しかも、その後の縁にも悪影響を及ぼします。
自分なりの配慮と礼儀が目の前の相手に通用しなかったとしても、
別の所でその丁寧さを待っている人、きっといます。
だから、もっと自分の運に自信を持って吉。
自信を持つための根拠が足りない人は、一声かけてください。
客観的な立場と、運の知識を判断基準として、補佐致します。
それでは☆
【質問専用エントリー5】
ご質問はこちらのコメント欄にて承ります。
記事とは関係のない内容でも、
こちらにコメントいただければご返信致します。
鑑定という名目で、多くの方からご相談をいただく日々の中で、
『大丈夫、もっと自分に自信を持って!』
『客観的に見て、あなたの言動は、とても良い!』
『今の自分、信じる価値が十分にある!』
と感じること、しばしばあります。
そういう時は、鑑定結果も、非常に簡素で、
『仰る通りで、問題はないです』
『それで、良いと思います』
『その通りです』
で、終了。
もっと、背後霊とか凶運の未来だとか、
呪いの注意事項だとかを期待されているのかもしれませんが、
文句の付け所がないので、何も言うことはありません。
そこで、足りないのは、自分の運を信じる心だけです。
無謀や乱暴や非常識や夢物語を語られた場合は、
運を抜きにして、まず前提の時点で全く大丈夫ではないので、
そもそもの基礎部分から再確認が必要となります。
そうではなく、自分なりの精一杯で、その時点での正しさで、
一生懸命目指す未来なら、自分の運を信じて良いと思います。
子のために成す親の決断の全ては、正解だと思います。
今、上手くいかなかったとしても、人生という単位で見れば、正解です。
相手を思ってかける言葉に、間違いはないはずです。
仮にそれで相手が怒ってしまったとしても、運は悪くないです。
会社のことを真剣に考えて出した結論ならば、
それが経営者であろうが、従業員であろうが、
そんなことは関係なく、それこそが、今の答えです。
後から結果だけ見て吉だの凶だの言うのは、誰だってできます。
そこに知性や感性や分析力は不必要です。
無関係で無責任なバカほど好き勝手言います。
そんなの野次に一喜一憂するカロリーは無駄。
正解を知った上で生きれる人生なんてありません。
そんなの、神様だけができることで。
僕達が可能なのは、正解を探し見つけ選ぶことではなく、
今、目の前にある様々な可能性と、誠実に向き合い、
真剣に考え、勇気を出して一歩踏み出すことだけです。
それができたならば、そこから先は、自分の運を信じて吉。
それができていないならば、根拠のない自信に甘えず、
信じられるまで向き合い、考え、踏み出すまでのこと。
結果として、後になって、それが正解だったならば、
それはとても素敵なことだし、確かにご機嫌。
けれど、不正解だったということが分かったとしても、
それを不運だと思うのは誤解です。
無謀で乱暴な生き方により掴んだ正解より、
計画的に積み上げた結果の不正解の方が、運は良いです。
一時的には、正解による恩恵を得したように感じるかもしれませんが、
大きな目で見ると、その一時的恩恵は、未来の禍根となり得ます。
自分の運を信じて歩んだ道の先にある失敗や問題は、
一時的に損害を出したとしても、総合的には利益に繋がること、
非常に多いです(経験的に知っている方、いっぱいいるはず)。
過激な例えをするならば。
勉強しないで挑んだ受験は、下手に合格するより、
落ちてしまった方が運に良いということ、あります。
勉強して挑んだ受験は、仮に不合格だったとしても、
必ずしも不運とは限らないし、そこからの展開を期待できます。
企業努力しない会社は、偶然儲けるより、
ちゃんと業績不振になった方が、
その後の運の流れを整えやすくなります。
相応の企業努力の上で進めた事業が、
計画通りに利益を出さなかったとしても、
帳簿に載らない幸運を十分に享受すること、可能です。
無礼で自分勝手な言動で、たまたま仲良くなれてしまった人間関係は、
いずれどこかで破綻し、しかも、その後の縁にも悪影響を及ぼします。
自分なりの配慮と礼儀が目の前の相手に通用しなかったとしても、
別の所でその丁寧さを待っている人、きっといます。
だから、もっと自分の運に自信を持って吉。
自信を持つための根拠が足りない人は、一声かけてください。
客観的な立場と、運の知識を判断基準として、補佐致します。
それでは☆
【質問専用エントリー5】
ご質問はこちらのコメント欄にて承ります。
記事とは関係のない内容でも、
こちらにコメントいただければご返信致します。
コメント