僕の考える『運』は、 あくまで『自分で手に入れるもの』です。


どうも弊社の代表取締役兼父も、同じような考え方らしくて。


『運とは、良くなるものではなく、良くするもの』


と、先日、桐生の講座で言っていました。


だから、幸運や良縁に偶然はないものとします。
確かに、不思議なラッキーや奇跡的な出会いはあるけれど、
それは偶然を装った必然であると考えます。


『運も実力の内』


なんて言葉があり、今でもしばしば使われるのは、
僕や欽也だけでなく、多くの人が運に対して、
同じような印象を持っているのかもしれないな、と推測したりします。


そして。


それは幸運や良縁にのみ当てはまるものではなくて。


アンラッキーだってやはり、たまたまの偶然無し。
それはつまり、身から出たサビ。
自業自得の因果応報。


時には、不条理で、納得のできない例外もあるでしょうが、
多くの場合、トラブルは、遭遇するべくして遭遇するもの。


だから、運の世界って、怖いなって思います。


だって、吉も凶も、自分で手に入れ、
自分で抱え持っているものだって言うのでしょう。


良い出来事も悪い出来事も、 本質的には全て、
自分で選び、自分で手に入れたということでしょう。


それはつまり。


あらゆる場面で自己責任が求められるってことでしょう。


誰かのせいにしたり、何かを理由にしたりできないのは、
僕のような努力が苦手な怠け者にとっては、とても辛いことです。


勉強や仕事や人間関係や、
資産管理や人生設計が自己責任であることは、
僕だって子供ではないので、年を重ねるごとに、
肌身に染みて実感を強めつつあります。


だから、せめて運の世界だけは、因果律から解放されて、
もっと突発的で、もっとランダムで、もっと不可思議な作用であって欲しかった。


ところがどうも、運の世界もリアルライフと同様に、
自立と意思と努力を求められるって知った時は、がっかりしました。


『運の世界では、努力しなくても痩せられるんじゃないのかよ!?』
『え?吉方位に行けば、何もしなくても良縁がくるんじゃなかったの!?』
『金運が良ければ勝手に臨時収入があるんでしょ?違うの!?』


誰にともなくそう愚痴りたくなった僕って、変ですかね。


『聞いてないよ、先に言ってくれないとそういうことは。』


とガッカリしたのですが、それほど僕は、運に対して、
より他力本願で、より依存的で、より奇跡的な何かを、
想像し、要求し、期待していたようです。


そこで、改めて確認してみる。


運とは、良くなるものではなく、良くするもの。


自分の責任と意思と努力で、探し、見つけ、選びぶもの。


良くすることを前提としているわけだから、
なるべく吉を選ぶ機会を増やし、 なるべく凶を避けるようにすることが、
運を良くするということ。


全部を吉にし、凶を完全に排除することは現実的に不可能だから、
吉を選べないことがあり、凶しか選ぶことができないことがあるのは前提。


吉のみで構成される生き方ではなく、
凶を当然のように含まれつつも、
責任と意思と努力でなるべく良き道を目指すのが、
運を良くするということです。


そうなってくると、僕が学んだ運の知識は、俄然、輝きを増してきます。


そこには、吉と凶を上手に選りすぐるための方法論が記されています。
やむを得ず凶を選ばざるを得なかった時の対処法を示してくれます。


迷った時の判断の基準のようなものを教えてくれるので、
運を良くしやすい自分になります。


運の知識は、正解や成功を保証してくれるものではなく、
人間に備わる、揺れる心や、薄い意思を、
支え、補ってくれるものではないかと思います。


それがあれば、『身から出たサビ』も、受け入れられるようになる。


誰かのせいにして、ヘソを曲げなくても、自分で処理し、糧にすることができるようになる。


そのための運の知識。


ってことは、運を学んだ後になってからではなく、
学ぶ前にお伝えしておくのがフェアですよね。


『お金が手に入るよ』
『恋人できるよ』
『出世するよ』


などの効果を声高らかに宣伝するより、
運に求められる自立と、その理由を先にご紹介する方が、
西企画らしいかな、と思います。


売り上げが減っても。
期待値が下がっても。
つまらなそうな見た目になってしまっても。


僕のように、


『聞いてないよ』


とならないために。


それでは☆


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