縁はいつだって、自分の意志のみでは支配することのできない、
偶然の繋がりと出来事の連続で成立しています。


どんな達人でも、それを完璧にコントロールすることは難しく、
むしろ思うようにならないことの方が多い分野だと思います。


陰陽学というものが本当にあるのだとしたら、
本来、良い人と悪い人は半々の割合でいるはずなのに、
僕には悪い人の方が多いのではないかと感じることがあります。


意識して良縁を求め、職場や家庭で配慮していても、
映画に出て来るようなドラマチックなチャンスはなかなかないし、
待てど暮らせどヒーローもヒロインも現れません。


ムカつく上司や面倒くさい親戚、無遠慮な家族や勝手な恋人は、
頼んでもいないのに売るほど寄って来るにも関わらず、
自分が望む理想の隣人やパートナーや顧客や取引先は、数少ない。


それらは自然災害でも未確認生物でもないのだから、
もっと何とかなって良さそうなものなのに、
何ともならないのが、縁というやつ。


けれど。


出会うべくして出会った、そういう必然的な偶然もあると思います。


良縁、悪縁の分別はまた別として、必要であり必然の出会い。


その繋がりに、意味がある、という縁。
そこで知ることや学ぶこと、気付くことがある、という機会。


やっぱり思い通りにコントロールすることはできないもの。
ただし、引き寄せることや繋がりやすくすることは、比較的簡単。


スピリチュアルなフィーリングが苦手な方は、確率論だと思って聞いて下さい。
制御はできないけれど、確率を高めるための、現実的な方法。


それが、連絡。


会話であり電話であり手紙・メール。
声がけであり、お知らせであり、宣伝及び広告。


様々な連絡ツールを使いこなし、縁とのやり取りを活発にこなす人は、
縁をコントロールすることはできなくても、必然の出会いを増やすことはできます。


そういう意味でなら、縁には意志が介入する余地、ありと言えます。


連絡を怠り、返信をサボり、手紙を書かない人は、
残念ながら、自らの手で知るべき機会や学ぶべきこと、
インスピレーションや嬉しさや楽しさを遠ざけていることになります。


すぐに音信不通になる人が、必然の縁と繋がる確率は、低いです。


支配するためではなく、繋がるための、連絡。


出来る人と、出来ない人で、その世界には大きな差が生じます。


それは目で見て、耳で聴いて確認することができるもの。


『自分、やばい』


と不安を感じたならば、まず身近な連絡から、誠実にこなして吉。


それでは☆