価値観はそれぞれ自由なので、
目の前で起こる出来事を、どのように捉えても、
それが自分だし、それが自然。
けれど運に関しては、好きを吉、嫌いを凶なんて考えると、
軌道を読み間違えるので注意が必要です。
好都合が吉で不都合が凶とは限らないし、
満足が吉で不満足が凶とも限らない。
楽なのが吉で大変なのは凶とも限らない。
それで人生を積み重ねていったら、いつか必ず後悔することになる。
好みと吉凶を結びつけるのは非常に危険なのです。
例えば、春が来たら、春なりに過ごすのを、吉とします。
その時空間において、
『俺は桜は苦手だから』
『私は夏の方が好きだし』
『もう春が来ちゃったの?困るわ』
なんて個人的な意見は、運において、あんまり意味がありません。
ましてやそれを人生の判断基準とし、
『春だからこそ、あえてコスモスじゃないとダメだ』
『夏の方が好きだから、常に夏服しか着ない』
『何とか春が来ないように、頑張ってみよう』
という生き方をしてしまうと、間違いとは言いませんが、
費用対効果が悪かったり、余計な苦労が増えたり、
不必要なリスクを抱え込んだりして、非常に不自然だと思います。
春夏秋冬の季節ごとに、みなさんそれぞれ、好みがあるのは、良く分かります。
また、その好みを持つこと自体は全く問題ないし、
それが自然なあるべき姿だと思います。
けれど。
その価値観や都合と、運の吉凶を結びつけてしまうのは、危険です。
嫌いでも、必要な縁て、います。
大変だけれど、こなさなくちゃならない課題は、あります。
自分にとっては不都合だけれど、
学びや成長の機会としては好都合なんてケース、日常茶飯事です。
嫌いで大変で不都合だからという理由で、
上記の物事を凶だと誤解し拒絶してしまったら、
人は自らの手で幸運と良縁を手放してしまうことになります。
本来の吉である必要なことや必然のことって、
好き嫌いに囚われていてはなかなか手に入らないのです。
中には幸運な例外もあります。
好みや都合が、運と結びつく(自然と結びついている)ことって、
長い人生の中では、あっておかしくないです。
けれど、それは自分の意志で操作したものではなく、
偶然の必然の中で、結果として、そうあったというだけのこと。
好みや都合などを超越した、当人固有のセンスや才能に、
既に気付けているという方が、時々まれにいるわけです。
例えば。
生まれながらの絵描き、という人は、います。
自分がそのことに気付いてしまっているならば、
絵描き以外の人生は、けっこう生きにくいので、
損得勘定に関係なく、絵描きになることを選んだ方が、運は良いと思います。
生まれながらの夫婦とか、生まれながらの自由人とか、
そういうことは、運の世界ではあり得ることなので、
例外的ではありますが、そういう人の場合は、
その個性と吉凶判断をリンクさせて問題なし。
けれど、上記はあくまで例外です。
通常、好みや都合を(自分で)運に結びつけるのは危険。
多くの場合、運を乱すことになるので、注意して吉。
それでは☆
目の前で起こる出来事を、どのように捉えても、
それが自分だし、それが自然。
けれど運に関しては、好きを吉、嫌いを凶なんて考えると、
軌道を読み間違えるので注意が必要です。
好都合が吉で不都合が凶とは限らないし、
満足が吉で不満足が凶とも限らない。
楽なのが吉で大変なのは凶とも限らない。
それで人生を積み重ねていったら、いつか必ず後悔することになる。
好みと吉凶を結びつけるのは非常に危険なのです。
季節に逆らうことのリスク
例えば、春が来たら、春なりに過ごすのを、吉とします。
その時空間において、
『俺は桜は苦手だから』
『私は夏の方が好きだし』
『もう春が来ちゃったの?困るわ』
なんて個人的な意見は、運において、あんまり意味がありません。
ましてやそれを人生の判断基準とし、
『春だからこそ、あえてコスモスじゃないとダメだ』
『夏の方が好きだから、常に夏服しか着ない』
『何とか春が来ないように、頑張ってみよう』
という生き方をしてしまうと、間違いとは言いませんが、
費用対効果が悪かったり、余計な苦労が増えたり、
不必要なリスクを抱え込んだりして、非常に不自然だと思います。
春夏秋冬の季節ごとに、みなさんそれぞれ、好みがあるのは、良く分かります。
また、その好みを持つこと自体は全く問題ないし、
それが自然なあるべき姿だと思います。
けれど。
その価値観や都合と、運の吉凶を結びつけてしまうのは、危険です。
好みに関係ない必要性と必然性
嫌いでも、必要な縁て、います。
大変だけれど、こなさなくちゃならない課題は、あります。
自分にとっては不都合だけれど、
学びや成長の機会としては好都合なんてケース、日常茶飯事です。
嫌いで大変で不都合だからという理由で、
上記の物事を凶だと誤解し拒絶してしまったら、
人は自らの手で幸運と良縁を手放してしまうことになります。
本来の吉である必要なことや必然のことって、
好き嫌いに囚われていてはなかなか手に入らないのです。
例外的な偶然の必然
中には幸運な例外もあります。
好みや都合が、運と結びつく(自然と結びついている)ことって、
長い人生の中では、あっておかしくないです。
けれど、それは自分の意志で操作したものではなく、
偶然の必然の中で、結果として、そうあったというだけのこと。
好みや都合などを超越した、当人固有のセンスや才能に、
既に気付けているという方が、時々まれにいるわけです。
例えば。
生まれながらの絵描き、という人は、います。
自分がそのことに気付いてしまっているならば、
絵描き以外の人生は、けっこう生きにくいので、
損得勘定に関係なく、絵描きになることを選んだ方が、運は良いと思います。
生まれながらの夫婦とか、生まれながらの自由人とか、
そういうことは、運の世界ではあり得ることなので、
例外的ではありますが、そういう人の場合は、
その個性と吉凶判断をリンクさせて問題なし。
けれど、上記はあくまで例外です。
通常、好みや都合を(自分で)運に結びつけるのは危険。
多くの場合、運を乱すことになるので、注意して吉。
それでは☆
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