トラブルは毒出し。
潜在的に抱えていた悪運が表に吹き出す現象。


そのことを知らなければ、トラブルは単なる心を落ち込ませる原因に成り下がる。
人生において不必要な厄介者になってしまう。


そんなことはないはず。


トラブルが幸運のきっかけになることは、あり得ると思います。
身から出た錆でも、雨の後は上天気。
人間万事塞翁が馬。


運を軸に考えると。トラブルが起こった後は、
抱えていた悪運が表に噴き出した分、
これまでより、軽やかな自分になっていると考えられます。


大変な想いや辛い出来事やキツイ体は確かにその通りですが、
抱える悪運は減り、過去の自分より運は良くなっていることが多い。


その自分で、これからどうするのか、そこが見所。
気分を落ち込ませて悪循環に自らハマっていくのか、
それとも失敗を成功の糧とすることができるのか。


『そこで初めて、気づく』
『それがあるから、できる』
『そのおかげで、動ける』


そんな風に、瞬時に判断をし、目の前で起こったトラブルを受け止められる人は少ないでしょう。


でもちょっと考えてみると。


みんな後になって振り返って思うはず。


『あそこで気付けた』
『それがあったから、できた』
『そのおかげで動けた』


そういう実体験を、いくつも思い出せる人、きっといっぱいいるはず。


僕自身、


『あそこで人生をドロップアウトしていなかったら、今、西企画では働いてないな』
『あそこでひどい言葉を使ってしまって以来、少し気をつけられるようになった』
『あの淀んだ暗黒時代でさえ、今にして思えば必要な過程だったのかも』


今だったらそう言えます。


そして、運の本質とはそんなものだと思います。


その時点では、分からないことが多い。
答えは神様しか知らない。


けれど、その答え、時が経ち振り返ると、
別に神様のように立派じゃなくても、自分自身で見つけることができる。


だから、その場では、決めつけない。
嫌でも後で決まるのだから、勝手に自分で吉凶判断しない。


誠実な人にとって、そんなどっち付かずの保留な態度は、
決して気持ち良くないし、いい加減に感じられるかもしれません。


けれど、


『振り返って気付く』


これが運の本質であることを考えると、
早急な結論は、リスクの方が大きくなるので、注意が必要。


運の自己評価は、常に後から行うのが無難だと思います。


それでは☆