人に感情があるのは自然。


そのコントロールが難しいのも通常通り。


それはみんな、言われなくても当たり前のこととして分かっている。


一方。


自然の流れにも運勢があり、常に一定ではない。


例えば、春夏秋冬の浮き沈みは、あってこそ自然。


また、春は常に春で、花粉の飛散を止めることは誰にもできない。
夏になると嫌でも暑くなって、太陽はギラギラ。


これも、『自然の摂理』なんていう理屈っぽい知識ではなく、
もはや常識として、みんなの深くにしっかり根付いています。


人に喜怒哀楽があり、自然に春夏秋冬がある。


どちらも、全く同じではないけれど、
一定ではないリズムがあるという点においては似てる。


問題なのは、その2つが相反する時。
上手く反りが合わずに、自然の流れが人にとって不都合になる時。


どんなに怒っていても春は春。
どんなにダダこねても夏は夏。


誰かのご機嫌を取って沈む太陽なんてないし、
誰かに意地悪をしようと吹く風なんてない。


自然の摂理は常に淡々とサイクルしているわけで。


コントロールをすることはできないので、
こちらが合わせていくしかない。


自然の吉に合わせて、こちらの計画を調整し、
自然の凶に合わせて、こちらの動きを調整する。


さらに。


人の感情と自然の吉凶は別。


そしてどちらもコントロールできるものじゃないから、
どうこうしようと頑張り過ぎない方が上手く行くと思います。


その時。


僕達の感情は、非常に予測が難しく、読めないことの方が多いのですが、
自然サイクルはかなりの精度で、ある程度まで先読みすることができます。


例えば曜日や祝祭日、月の満ち欠けや春夏秋冬、
生まれてから死ぬまでの吉方位と凶方位などは、
一生涯分、見当を付けてから前進をすることが可能です。


どんなに怒っていても、お彼岸はお彼岸。
どんなに悲しくても、七夕は七夕。
どんなに落ち込んでいても、日はまた昇る。


だから、プンスカ怒りながらもお墓参りに行けば良いと思います。
悲しいなら悲しいなりに、七夕に願いを書き、
朝が来たら涙をぬぐえば、それで十分なのだと思います。


僕は、周囲の状況に合わせて感情をコントロールできるほど、
優れた自己制御機能を持つ人間ではありません。


それができたらどんなに素晴らしいかと思うことはあっても、
周囲の流れなんておかまいなしに、自分勝手に喜怒哀楽を繰り返します。


それが受け入れざるを得ない人のあるべき姿の一面だし、
少なくとも運においては、決して大きな問題ではありません。


ところが。


それと自然サイクルを結びつけて。


『気分が乗らないから吉方位には行かない』
『何だか最近イライラするから、お墓参りはパス』
『今年は何となくのフィーリングで、鯉のぼりは却下』


そんな風に過ごしてしまうと、人は自然との調和を乱し、
運は停滞してしまうと思います。


おおげさな話。


吉方位へと旅行をする理由は、そこが吉方位だからです。
お花見をするのは、そこに花が咲いているからだし、
コートを着るのは、寒いから、ただそれだけで、十分な必要性と必然性だと思います。


太陽が昇る方に窓を開け、北風が吹く方を壁で閉じれば、それが良い家相です。


縁起が良い日に結婚式を挙げれば良いし、年の始めには初詣をすれば良いでしょう。


それが自然な営みであると思います。


ただそれだけのシンプルな暮らしのサイクルなのにも関わらず、
しばしば問題が起こって摩擦が生じるのは、
自然の営みに感情を始めとする人の都合が絡んできた時。


感情を根拠に起こす行動は、だいたい炎上します。
もしくは熱しやすく冷めやすいが故に、安定的に継続することができません。


少なくとも、運のあるライフスタイルを目指した場合、
こよみに掲載される自然の流れと、自分から発せられる感情は、
切り離してライフプランを立てるべきだと思います。


それでは☆


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