時期や方位や家相を含めて、
世に『占い』とカテゴライズされるものを“信じている人”が、
それを“信じていない人”に勧めたり、やらせようとしたりする場合。


確かにそれが相手にとって有益な情報だったとしても、
それを受け入れる態勢が整っていなかったら、効果は薄いと思います。


『大吉だから、絶対良いから、やるべき!』


と無理強いし、何とか説得してやらせてみた所で、
当人はそこに幸運や幸福を感じること、
おそらくできないと思います。


というか、仮に効果・効能があったとしても、
それを正しくジャッジすることは難しいはずです。


勉強したくない人に勉強しろと言って、
勉強が捗り理解が進んだケースを、僕はあまり知りません。


勉強をしたくない僕に対し、勉強しろと、
上から目線で知ったような口をきいてくる人がいると、
僕はすぐに敵認定をした覚えがあります。


子供の頃だけでなく、つい最近までそんな感じでした。


『うるせーな』
『分かってるよ』
『お前に言われたくないわ』


とかなんとか毒を吐きながら、
強引さに比例して拒絶しました。


今だったら、学習の必要性と必然性、身にしみて理解しています。


あの頃、サボってしまった分、今は毎日がお勉強のような感じです。


でも、当時はそれが分からなかった。
心でしっかり理解することができなかった。


だから反発することで何とか自分軸を確保しようと頑張りました。


それと似たことで。


『吉方位へ行け』
『凶時期を避けろ』
『画数の良い名前をつけろ』


という台詞も、同じようなものだと思います。


当人がその必要性なり必然性なりを意識し受け入れていない限り、
周囲からの全てのリコメンドは逆効果。


どんなに相手の幸運を考えた上での、
思いやり溢れる正しい吉凶提案であったとしても、
求められていないならば、押しつけたところで意味がない。


運の知識を勉強していると、
始めは自分個人のためだったその学びが、
次第にテリトリーを広げていき、家族・恋人・友人など、
他人の運まで気になってくること、よくあります。


そのとき。


周りのみんなにとって最も大きな幸運は、
運の知識を勉強しているあなた自身が幸せであることです。


周りを幸せにすることではなく、自分が幸せであることが、
結果として、周囲のためにもなるわけです。


そのために、運の知識を学ぶのでしょう。
街角で1回いくらで占い商売するためではないはず。
知人に頼まれてもいないのに、運を説いてまわるためでもないはずです。


そこを忘れぬように。
見失わぬように。


『大切なことだし、素敵なことだから、周囲にも知って欲しい』


と感じる心は自然だけれど、


『だから、何としても、分からせたい』


と望むのは欲張りというか不自然。


『分かる』という運はあるけれど『分からせる』という運はないです。


自分のこれまでの経験を振り返ってみて下さい。


気付かされたり見せられたりしたことはあっても、
分からされたことがある人はこの世界にはいないはず。


自分が自分で腑に落としてこその理解。
誰かの都合や希望で操作できるものではない。


だからこそ僕は、大切な家族や友達の運を、
本当に大切に想えばこそ、
まず自分の運を整えなければならないと強く意識し直します。


そして。


そんな僕をみて、


『あいつ、そこそこまあまあ、運がいいな』


と周りに感じてもらえるような、
そういう自分であり続ければ、いつかきっと、
みんなの役に立つチャンスを、
みんなから与えてもらえるんじゃないかな、と思っています。


それでは☆


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