汚さないで綺麗を維持するより、
汚して磨いた方が綺麗になるものって、あると思います。
老舗旅館の床や手すりの美しさは、使われ磨かれてることによるもので。
汚されないように、顧客を遠ざけてしまっては、あの輝きは出てこない。
むしろ、汚されては磨き、汚されなくても磨き、
その日常を長い年月積み重ねて行く過程で、
光沢が生まれ、美しさが増し、運に深みが出てくるわけです。
新品には出せない、時間と共に増す魅力にこそ、
幸運と良縁を呼ぶ力が宿ると考えられます。
これを七赤金気の洗練の作用とします。

どんなに古くなっても、どれほど汚れても、
磨けば輝き続け、輝きは増し、素敵になる。
それが洗練の効能です。
住居も、お客さんが来る家の方が綺麗になります。
来客はとても面倒くさいことだけれど、
来てもらうことで払われる停滞があるものです。
大切な人や、好きな人が家に来ることで、
鬱屈しがちな日常に刺激が加わり、
溜まっていた陰気が外へと押し出されます。
誰かの家に招かれるのは好きなくせに、
自分の家には招待しようとしない人。
残念ながら、それではご自宅の気が滞りやすいので要注意。
(ただし特殊な事情がある場合を除く)
廃墟って、勝手に壊れるでしょう。
誰も来ないから綺麗なままかというと、そうじゃない。
僕はその停滞感を『家が死ぬ』と表現します。
人が住む家は、古くても、死なない。
生きているから、血も通う。
使用頻度が高いほど、良い状態が保たれる。
道具も同じです。
良く手入れが行き届いた仕事道具は、美しい。
使わない道具が美しいのではなく、使い込まれた道具に、輝きが宿る。
そして。
それらの洗練の作用は、
・店舗
・家
・道具
だけでなく、人の運にも同じように働きます。
凶の要素が一切無い、無菌室で育ったような人の運は、
理想的だし素晴らしいことだとは思うけれど、
美しい人生の輝きがそこに宿るのか、というと、疑問です。
(そもそも、現実的にそんなことはあり得ないし)
へっこんだり、傷ついたり、汚れたり、色あせたりしながら、
吉の対処などにより、手当をしつつ、磨き清めることで、
そこに深い光沢が積み重なっていくように思います。
汚れては磨いて、汚れなくても磨いて、
そのコツコツとした継続的な積み重ねが、
自分をピカピカに仕上げてくれます。
少なくとも、
『一度凶を冒し汚れたら、もう二度と吉のようには輝けない』
ということはあり得ません。
凶があるから吉を利用するのだし、
凶でなくても、吉を利用すれば良いし。
根気はいるけれど、それが最も効果のある、
素敵な人になる方法だと思います。
運は磨いてこそ光る。
凶で汚されることを恐れて神経質に生きるのは、もうやめましょう。
『生きてりゃ汚れることもあんだろ』
くらいの大らかさを持つこと、できるはずです。
嫌とか汚いとか、恐いとかも全てひっくるめて、
全ては深みある輝きの一要素。
ただし、そこには磨き作業が必要となる。
泥団子だって磨けば光ります。
きっとそういうことなのだと思います。
ときには凶も冒しつつ、けれど磨き清めることは手抜きせず、
前向きに吉を選びながら生きて行くことができれば、
その先にはそれは誰が何と言おうと、ぴっかぴかに光る、
美しい運が待っているはずです。
それでは☆
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汚して磨いた方が綺麗になるものって、あると思います。
老舗旅館の床や手すりの美しさは、使われ磨かれてることによるもので。
汚されないように、顧客を遠ざけてしまっては、あの輝きは出てこない。
むしろ、汚されては磨き、汚されなくても磨き、
その日常を長い年月積み重ねて行く過程で、
光沢が生まれ、美しさが増し、運に深みが出てくるわけです。
新品には出せない、時間と共に増す魅力にこそ、
幸運と良縁を呼ぶ力が宿ると考えられます。
これを七赤金気の洗練の作用とします。

どんなに古くなっても、どれほど汚れても、
磨けば輝き続け、輝きは増し、素敵になる。
それが洗練の効能です。
住居も、お客さんが来る家の方が綺麗になります。
来客はとても面倒くさいことだけれど、
来てもらうことで払われる停滞があるものです。
大切な人や、好きな人が家に来ることで、
鬱屈しがちな日常に刺激が加わり、
溜まっていた陰気が外へと押し出されます。
誰かの家に招かれるのは好きなくせに、
自分の家には招待しようとしない人。
残念ながら、それではご自宅の気が滞りやすいので要注意。
(ただし特殊な事情がある場合を除く)
廃墟って、勝手に壊れるでしょう。
誰も来ないから綺麗なままかというと、そうじゃない。
僕はその停滞感を『家が死ぬ』と表現します。
人が住む家は、古くても、死なない。
生きているから、血も通う。
使用頻度が高いほど、良い状態が保たれる。
道具も同じです。
良く手入れが行き届いた仕事道具は、美しい。
使わない道具が美しいのではなく、使い込まれた道具に、輝きが宿る。
そして。
それらの洗練の作用は、
・店舗
・家
・道具
だけでなく、人の運にも同じように働きます。
凶の要素が一切無い、無菌室で育ったような人の運は、
理想的だし素晴らしいことだとは思うけれど、
美しい人生の輝きがそこに宿るのか、というと、疑問です。
(そもそも、現実的にそんなことはあり得ないし)
へっこんだり、傷ついたり、汚れたり、色あせたりしながら、
吉の対処などにより、手当をしつつ、磨き清めることで、
そこに深い光沢が積み重なっていくように思います。
汚れては磨いて、汚れなくても磨いて、
そのコツコツとした継続的な積み重ねが、
自分をピカピカに仕上げてくれます。
少なくとも、
『一度凶を冒し汚れたら、もう二度と吉のようには輝けない』
ということはあり得ません。
凶があるから吉を利用するのだし、
凶でなくても、吉を利用すれば良いし。
根気はいるけれど、それが最も効果のある、
素敵な人になる方法だと思います。
運は磨いてこそ光る。
凶で汚されることを恐れて神経質に生きるのは、もうやめましょう。
『生きてりゃ汚れることもあんだろ』
くらいの大らかさを持つこと、できるはずです。
嫌とか汚いとか、恐いとかも全てひっくるめて、
全ては深みある輝きの一要素。
ただし、そこには磨き作業が必要となる。
泥団子だって磨けば光ります。
きっとそういうことなのだと思います。
ときには凶も冒しつつ、けれど磨き清めることは手抜きせず、
前向きに吉を選びながら生きて行くことができれば、
その先にはそれは誰が何と言おうと、ぴっかぴかに光る、
美しい運が待っているはずです。
それでは☆
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