P135:04四緑

『いいな』


と、ふと感じた人や物や場所には、
何かしらの意味や繋がりがあるものと考えられます。


そこに明確な根拠や具体的な理由は不要です。


何となく、雰囲気的に、良い感じ、それで十分。


縁の運は九気で言うと四緑木気。


四緑木気とは風であり雰囲気。


どれもつかみ所のないエネルギー。


けれど確かに感じることができる流れ。


縁のない対象の流れは察知しません。


それがそこに間違いなくあったとしても、気にならず通り過ぎます。


だから、何気なく感じる『いいな』は大切にして吉。


もちろん、それで外れクジを引いてしまうことや、
その場は良くても後になって残念な短所を見つけてしまうこと、
また大きな勘違いで失敗しちゃうことも、当然あるでしょう。


けれど、それでもなお、やはりそこには、何らかの縁がある。


そう自信を持って受け入れて間違いなさそうです。


『袖振り合うも他生(多生)の縁』


ということわざがあるでしょう。


意図せず偶然すれ違っただけの他人でも、
すれ違うからには、前世や来世などの別の時空間において、
何らかの縁があるのだ、というような意味。


縁があるものとは、いつかどこかで接近することになる。


それは電車やバスで乗り合わせる人かもしれない。


たまたま入った居酒屋の隣の席で騒いでいるお客さんかもしれない


交通事故でトラブルを起こした当事者同士だったり、
それを取り締まる警察の人や手続きをする保険屋さんだったり、
その様子を遠くから眺めて通り過ぎる野次馬だったりかもしれない。


縁があるからには、どこかで接点を持たざるを得ない仕組みになっている。


そして。


そこに軽視すべきではない何らかの意味があった場合。


僕達は『いいな』と気付く感性を生まれ持っているようです。


仮にその感覚が間違っていたとしたならば、
間違えることも含めて、縁なのだと思います。


間違える必要があるからこそ、いいな、と思わざるを得なかったわけです。


ここで改めて確認しておかなくてはならない、重要なこと。


『いいな』


と感じる心は、正解と不正解を見分ける判断基準ではありません。


吉か凶かを分別するフィルターでもないです。


それは、自分にとって、縁の有無を知るための鍵。


繋がらざるを得ない必要な経路を見つける拠り所。


だから結局、僕達は、


『いい!』


と感じるものを、納得して選んでいくので良いのだと思います。


結果の良し悪しに関係なく、それが自分にとって最適な縁の道です。


そこでは痛い失敗もしばしばあるでしょう。


けれど運においては問題なし。


全てが必要な偶然の必然であると思います。


それでは☆


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