明るい場所では汚れが目立つ。
明るいからこそ見つけられる乱れがある。
同様に。
吉運の中でこそ目立つ凶運があって、
ラッキーだからこそ見つけられるアンラッキーがある。
見える嫌なものは、運の悪さを示す基準とは限らない。
例えば、来客時に、汚れや乱れを一時的に隠すために、
扉を締めたり照明を落としたりすることはアリだとします。
でも、自分の大切な人生において、
悪運が目立たなくて済むように暗い場所を歩いたり、
乱れが見つからないで済むように、
乱れた環境に身を置くようにしたりしていると、
それは人生そのものを汚し乱すことになってしまいます。
何事にも努力を惜しまない人と一緒に過ごすのは、
プレッシャーを感じて居心地が悪いものでしょう。
だから怠け者と一緒に過ごす方が、
自分の怠惰が目立たずに済むので楽でしょう。
けれど、それでは、見逃してしまう悪運がいっぱいあります。
気づかず見つけられないまま流してしまう幸運がいっぱいあります。
自分の人生に汚れを見つけたら、もしくは乱れに気付けたら、
それは概ね、自分の人生が明るいということになるでしょう。
見つかり気付いたその時は、面倒だし大変だしショックだと思います。
けれど本当の意味で最悪のケースとは、汚れや乱れがあることに、
最後の最後まで気づけぬまま終わってしまうことのはずです。
運の吉凶とは面白いもので、
起こった結果が自分の都合に合うかどうかでは決まりません。
自分の好みに合うものが吉で合わないものが凶とは限りません。
苦しい吉や楽な凶もあります。
時には、本当に面倒くさい吉や、すごく軽やかな凶があります。
そして、運が良い人は、どのような状況においても、
気付き認識し、受け入れ、対処することができる。
自分でも分かるし、他人から指摘されたことを認められる。
一方、運が悪い人は、状況に関係なく、気付けない。
自分で分かっていないし、他人から指摘されても、
簡単には認めようとせず、むしろ逆ギレし反発します。
どんな幸運な人生においても、
『たった1つのトラブルも無い』
という天国のような道のりは、ありません。
というか、天国のように明るく健やかな道だからこそ、
ちょっとした影や不具合も、
すぐに表に現れて見過ごされることがないはずです。
それが道理ってもの。
普段、安全運転なのにも関わらず、
たまたま気を抜いてスピードを出し過ぎたときに限って、
その交通違反を見つけられたりしてしまう人、いるでしょう。
何十年も無免許で危険運転しまくってるにも関わらず、
検挙されないまま、今日も飲酒し車を運転している人も、いるでしょう。
どちらが運が良いのか?
その交通違反は、損しているのか?
無免許飲酒運転し続けられることはラッキーなのか?
答えは、当人の人生を見れば明白です。
それが自分にとって嬉しいことだけでなく、
面倒なことや大変な問題でさえも、
見つけられるという幸運があります。
病気や危険性を含めて、見つけられないという悪運があります。
運の世界においては、そのように考えます。
それでは☆
【告知】講座のお知らせまとめ@千代田
【質問専用エントリー5】
ご質問はこちらのコメント欄にて承ります。
記事とは関係のない内容でも、
こちらにコメントいただければご返信致します。
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同様に。
吉運の中でこそ目立つ凶運があって、
ラッキーだからこそ見つけられるアンラッキーがある。
見える嫌なものは、運の悪さを示す基準とは限らない。
例えば、来客時に、汚れや乱れを一時的に隠すために、
扉を締めたり照明を落としたりすることはアリだとします。
でも、自分の大切な人生において、
悪運が目立たなくて済むように暗い場所を歩いたり、
乱れが見つからないで済むように、
乱れた環境に身を置くようにしたりしていると、
それは人生そのものを汚し乱すことになってしまいます。
何事にも努力を惜しまない人と一緒に過ごすのは、
プレッシャーを感じて居心地が悪いものでしょう。
だから怠け者と一緒に過ごす方が、
自分の怠惰が目立たずに済むので楽でしょう。
けれど、それでは、見逃してしまう悪運がいっぱいあります。
気づかず見つけられないまま流してしまう幸運がいっぱいあります。
自分の人生に汚れを見つけたら、もしくは乱れに気付けたら、
それは概ね、自分の人生が明るいということになるでしょう。
見つかり気付いたその時は、面倒だし大変だしショックだと思います。
けれど本当の意味で最悪のケースとは、汚れや乱れがあることに、
最後の最後まで気づけぬまま終わってしまうことのはずです。
運の吉凶とは面白いもので、
起こった結果が自分の都合に合うかどうかでは決まりません。
自分の好みに合うものが吉で合わないものが凶とは限りません。
苦しい吉や楽な凶もあります。
時には、本当に面倒くさい吉や、すごく軽やかな凶があります。
そして、運が良い人は、どのような状況においても、
気付き認識し、受け入れ、対処することができる。
自分でも分かるし、他人から指摘されたことを認められる。
一方、運が悪い人は、状況に関係なく、気付けない。
自分で分かっていないし、他人から指摘されても、
簡単には認めようとせず、むしろ逆ギレし反発します。
どんな幸運な人生においても、
『たった1つのトラブルも無い』
という天国のような道のりは、ありません。
というか、天国のように明るく健やかな道だからこそ、
ちょっとした影や不具合も、
すぐに表に現れて見過ごされることがないはずです。
それが道理ってもの。
普段、安全運転なのにも関わらず、
たまたま気を抜いてスピードを出し過ぎたときに限って、
その交通違反を見つけられたりしてしまう人、いるでしょう。
何十年も無免許で危険運転しまくってるにも関わらず、
検挙されないまま、今日も飲酒し車を運転している人も、いるでしょう。
どちらが運が良いのか?
その交通違反は、損しているのか?
無免許飲酒運転し続けられることはラッキーなのか?
答えは、当人の人生を見れば明白です。
それが自分にとって嬉しいことだけでなく、
面倒なことや大変な問題でさえも、
見つけられるという幸運があります。
病気や危険性を含めて、見つけられないという悪運があります。
運の世界においては、そのように考えます。
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