
運の世界においては、
『それをすることで運が良くなる』
ではなく、
『それをできる自分が、もうすでに運が良い』
ってこと、いっぱいあって。
吉方位へ行くと、どんな運が良くなるのか、ではなく、
吉方位へ行ける自分の運が、既に良い、ということです。
吉時期を利用すると、具体的にどんなメリットがあるのか、ではなく、
吉時期を利用できる自分は、既に良い流れに乗れているはずなのです。
おおげさに言うと、良い状態の自分であるならば、
凶でさえも吉に変換してしまえるわけです。
事実、運が良い人は、何でも美味しいって食べる。
運が悪い人は、どんなに美味しいものにでも、いっくらでも文句をつけられる。
それは、味覚の違いではなく、運の違い。
能力の差ではなく、運の差であると考えられます。
周囲を眺めていると、
『空気清浄機ならぬ運気清浄機』
みたいな人が、時々います。
その人というフィルターを通すと、全てのものが、澄む。
澄んだものばかり手にしているのではなく、
何を手にしようと、あなたを通せば、澄んだものになる。
逆に、決して多くはないけれど、確かにいるのが、
汚れ切ったフィルターを交換しないまま、
気付かず動き続けているみたいな人。
澄んだ空気ですら淀んでしまうようなバッドな状態。
そうなると、どこへ行っても、誰に会っても、
何を聴いて、どれに触れても、残念なことになるわけです。
『それをできる自分が、もうすでに運が良い』
の逆パターンとして、
『それができない自分は、もうすでに運が悪い』
というのも、僕には頻繁にあって。
『運が悪いから、それをすることができない』
とも言えます。
例えば、優しくできない。
どんなに頑張っても、体が言うことをきかない。
分かっちゃいるのに、心が言うことをきいてくれないのです。
それは、そのとき、運が悪いのだと思います。
ゆとりとかもそう。
考え方にも、動き方にも、余地や余裕があった方が運は良い。
でも、持てない、作れない。
それは僕がゆとりを持てない人間なのではなく、
運が悪いから、ゆとりを持てないのだと思います。
運の良し悪しは行動に現れるし、
運の良し悪しによって決まる行動がある。
そう考えると。
人には、できることと、できないことがあるのではなく、
1.できるとき(好調時)
2.できないとき(不調時)
の2種類があるのではないかと思うのです。
もしもそうだとしたならば。
実は、なすべきは、運の管理のみ。
必要なのは、できるようになる修行ではなく、
また、できない自分を責めることでもなく、
自分の運を良い状態に保っておくこと。
そこが課題なのではないかと思います。
それでは☆
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