ストレートに運に関わる内容ではないかもしれませんが、
2012年っぽく感じる出来事があったので、
このブログにてレポートを。


土用が始まる直前の日曜日、
2012年4月15日に、地区の清掃がありました。


みんなの休日を利用して、朝、8:00に集会所に集合。

01.戦士が集結



僕が住む富岡市という街には、ご近所組合があって、
僕が属するのは『鍛冶屋組(かじやぐみ)』です。


その組合のみなさんと一緒に、近所の草刈をしたり、
道路の清掃をしたりします。


中には『俺はそういうものに入っても得しないから』と、
組合への加入を断る方もいらっしゃいます。


そういう人も、みんなが雑草を取り除き、
歩きやすくなった土手を、犬連れて散歩したりします。


当人にしてみれば『別に頼んだわけじゃねえ』って感じでしょうが、
地区の人の働きがなければ、土手の散歩ができないどころか、
雑草も、ゴミも、そこに集まる虫も臭いも、
えらいことになると思います。


雑草は、飛ぶんでね。種となって。
ゴミも、虫も、臭いも、同じです。


『俺は、俺んちだけでいい』


って思っていても、お前んちのゴミが飛んできたり、
あそこで湧いた虫がお前んちに行くかもしれないわけです。


そういうのは、組合に属するかどうかというよりも、
社会に含まれるかどうかの人としての信頼関係なわけで。


話を元に戻して。


朝の8:00にみんなで集まって、
道祖神様の周りの雑草取りや道端の草刈、
橋の掃除や神明宮の参道の落ち葉広い。


さらにこの日は、裏山まで移動。
そこでの光景がこんな感じ。

02.裏山へ



不法投棄の山です。

03.あらゆるゴミ



ゴミを拾うでしょう。
そうすると、その下から、ゴミが出てきます。
そのゴミを掘り起こすと、その下からもゴミが出てきます。


長年の積み重ねの賜物で、ゴミの層ができてるんです。

04.積み重なるよう



ファックスや置物や食器・瀬戸物・コンビニ袋に入った家庭ごみ…

05.置物やファックス



タイヤやミキサーやミシンやテレビ…

06.タイヤやミキサーやミシン



そういうのが、ゴロゴロしてるんです。
みんなの里山に。
怒りを通り越して、呆然。

そして、何がムカつくかって…

07.分別作業



上の写真、分かります?
分別してるんですよ。
みんなが、1つ1つ、拾ったゴミを袋から出して。


捨てる人が、適当にごちゃ混ぜに捨てたゴミを、
拾う人が、ちゃんと捨てるために、分別する。


正直、殺意に近い感情が湧いてくる。


ところが…


周りの人達(同じ組合の大先輩方)は、


『まーず、よく捨ててくれたいのぉー』


とか言いながら、穏やかに黙々と、地道に作業を進めていくわけです。


そんなことされたら、一番下っ端の若造が、
愚痴文句言ってるわけにいかないじゃないですか。


だから、全然、納得行かなかったけれど、やりました。
ゴミ拾いも、分別も。


結果、出来たゴミの山がこちら。

08.10を超える袋の山



作業は、大げさじゃなくて、危険と隣り合わせです。
大きな一枚ガラスや瓶類は、割れていても、手で拾います。


積み重なっていると、何が捨てられているか分からないし。


もっと怖いのが、蛇。
ゴミを拾ったらその下から、マムシが出てきます。
今回は、3匹、登場しました。


調べましたよ。マムシの毒。
時には死に到ることもあるらしいじゃないですか。
捨てる人には関係ない話でしょうが。

咬傷による死亡率は高くないが、年間約3,000人が被害を受け、死者は5 - 10名程度とされる。これは小型であるため毒量が少ないことや、基本的に出血毒であり神経毒が少ない(「ない」とする研究者もいる)ため、効果が局所的に留まり身体全体を冒さないためである。しかし、量は少ないが毒性そのものではハブよりもはるかに強く、ハブの2 - 3倍はあるので、充分な注意が必要である。

ウィキペディアより



とにかく。


みんながサボりもせずに一生懸命掃除をしたおかげさまで、
本当に悪い気を放っていた藪が、こんな感じに。

09.使用後



上の方にあった掃除し始めの写真と比べてみて下さい。

10.こんなに綺麗に




捨てる人がこの光景を見たら、どう思うんだろう。
ゴミの集積所に収集車が来たような感覚ですかね。


『あー、またこれで、気持ち良く捨てられらあ』


つって。


誰かが捨てたとしても、誰かが拾うことで、
整い、保たれる、『社会』という名の、1つの集合体の運がある。


そこで誰かが拾うことを拒否し、
社会の輪であり和に参加しなかったとしても、
全体の運は大きいから、何とか不都合なく、やっていける。


捨てた人は、拾った人に、『ありがとう』って、言わない。
拾わなかった人が、拾った人に、感謝をする機会は、ない。


世間知らずな僕は、そこで、イライラします。


『てめー、清掃活動に参加しねーくせに、
みんなが綺麗にした場所歩くんじゃねーよ』


『ここにゴミを捨てやがったやつ、タダじゃおかねーぞ、
ソーラー発電で駆動するセンサーカメラ取り付けて、
絶対、しっぽをつかんでやる』


とか、勝手に憤ります。


でも、そんなの、大きな社会の中じゃ、小さなことで。


誰かにありがとうって言って欲しくて、
ゴミ拾いや草刈をするわけじゃない。


感謝してもらえないなら、やらない、なんて通用しない。


社会における集合体の運ってのは、
もっともっと大きな物差しで計ってこそ、成り立ちが分かるもので。


色んな人が、みんなそこにいて、揃って、
そうして初めて成立するバランスがある。


僕の感情のザワつきなんて、本当にわずかなサザナミにさえならない。


でも、僕の手は、間違いなく、世のバランスを保つ力の1つでもあって。


というようなことを、想像ではなく、
何となくの実感として得た、この日の清掃活動でした。


大きな会社に属する人や、
社会的な地位が高い、みんなのために働く人は、
日々、そういうことを、きっと感じ、時に矛盾に苛立ち、
それでも淡々と、それぞれの役割を全うしているのでしょう。


すごいことです。


ってことで。


半年も経てば、また、あの裏山には、
それなりのゴミが溜まっているはず。


その時はまた、組合の戦士達と出かけ、
負の気を退治し、バランスを整えたいと思います。


それでは☆