『お土産を頂いたんだけど、大凶方位からのものだったから、気持ちが悪くて捨てちゃった』


とか、あり得ないほどに、ノーセンス。


そのこと自体が大凶行為。


『私の上司はロッパクキンセイで、私とは星の相性が悪いから、仕事が上手くいかない』


とかいうのも大間違い。


原因や責任を“ロッパクキンセイ”に転嫁してる間は本物の成長なし。


『病気になったのだけれど、良い方位の病院がないから困ってる』
『我が家のガラスが割れたのだけど、方位が悪いからそのままにしてる』
『方位が悪いから帰省しない、お墓参り行かない、神様に参拝しない』
『学校の方位が悪い、会社の方位が最悪、恋人の家が大凶方位』
『吉方位にしか行けないのは、不便だし難しい』


方位関連の誤解に関しては、上記に挙げた以外にも、
あっと驚かされる、僕には想像も付かないような間違いがいっぱい。


どの時点でそのような認識になってしまったのでしょう?
どんな文言がそのような誤解を招いてしまったのですか?
いつの話を聞いてそんな不安がわき上がったのか覚えていますか?


テキストを製作し、講座を開催し、
ウェブサイトやブログで情報発信をしている僕としては、
どうしても責任を感じずにいられません。


西企画では、大凶方位から来たプレゼントであっても、ありがたく頂戴します。


というか、そもそも、そこで方位を気にすることはありません。


そんなことは、頭に思い浮かびもしません。


僕には九紫火星と八白土星の上司(社長と副社長)がいますが、
上手く行く時もあれば、上手く行かない時もあります。


そんな時は、九紫火星と八白土星との相性を探るより、
彼らにとっての自分の立ち位置や、
彼らに対する自分の言動をチェックするのが先です。


病気になった時は、近くにある、かかりつけのお医者さんへ行きます。
それが吉方位だろうが凶方位だろうが。


ガラスが割れたら、即日対処します。
忙しくてそれが難しい時は、翌日対処します。


帰省、お墓参り、参拝の際に方位の吉凶を持ち出し、
行ったり行かなかったりすることはありません。


冠婚葬祭やお見舞いでも同じです。


『申し訳ないけれど、今回はどうしても外せない仕事があって』


と、お誘いをご辞退したことはあります。
けれど、方位を理由にすることは、今後もずっとないはずです。


方位が良かろうが悪かろうが、自分にとって必要であれば、
みんなと同じように、通学し、通勤し、お出かけします。


そこに何の不安もありません。


その代わり、必要でないならば、わざわざ凶方位を選んで出かけることもしません。


その上で、吉方位がある時には、何とかスケジュールをやり繰りして、
日帰りでも良いから出かけようと心がけています。


そんな僕なりの運のあるライフスタイルを、


『いいかげん』
『不真面目』
『適当過ぎる』


と言う人がいたとしても、自分の中にある根拠と信念を支えに、


『ですよねぇ』


と受け流しつつ、気にしません。


運の吉凶を大事にし優先するあまり、
周囲の縁との信頼関係にしわ寄せが行ったり、
現実生活において無理が生じたりするのは、
吉を用いて凶を生むようなものだと考えます。


それを凶だと認定する記述は、どんな教科書にも載っていませんが、
実際にそうやって運をこじらせていく人を目の当たりにする度に、
確信を深めながら今にいたります。


これは僕の個人的な持論と言うだけでなく、
現代において運をライフスタイルに取り入れようとする人にとって、
きっと必要になってくる運の情報との付き合い方のはず。


運の知識は、縛られない方が、きっと、自然の摂理と仲良くなれます。


運の知識を中途半端にかじった人の方が、
自然の摂理と仲良くできないこと、多々あります。


何なら、運の理屈なんて一切知らないままに過ごす人の方が、
上手にバランス良く吉を選べていることさえあります。


いいかげんで不真面目で適当な態度としてではなく、
よりナチュラルで、より現実的な姿勢として、
自分の中でもつれ絡まった運の誤解を、
1つずつ解きほぐしていく作業、必要だと思います。


それでは☆


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