断つ潔さや捨てる快感、
離れることで得られる開放感、
そういうことの大切さ、あるでしょう。
捨てるまでの間は、
漠然とした未練を感じるけれど、
きれいさっぱり無くしてしまえば、
とても軽やかで清々しい気持ち、
僕も良く実感できます。
特に現代のように、
欲に囲まれた世界においては、
断ち、捨て、離すことの必要性と必然性、
良く分かります。
けれど。
その瞬間的な快楽や、
一時的な達成感に惑わされて、
『所有する喜びと安心感』
に依存していた自分を、
野放しにしてはいませんか?
それじゃあ、断捨離を頑張ったところで、
運は洗練されません。
買っただけで満足しちゃって、
ろくに目を通さない雑誌を捨てる。
そしてまた、読みもしないのに、
新しい雑誌を買い込んでくる。
恥ずかしながら、僕のことです。
申し込んではみたものの、
全然手をつけない資格教材。
高かったし、いつかやると決めてたから、
ずっと捨てられなかったんだけど、
未練を断ち切るために思い切って廃棄。
そして次こそは頑張ろうと、
新しい教材にチャレンジ!
で、想定外の案の定、
やっぱりまた放置。
それでは何も断捨離できていません。
ブックマークはしてあるものの、
二度とチェックしないウェブサイト。
録画だけはしたものの、
時間があっても観ないテレビ番組。
そのうち整理しよう、
を合言葉に貯め続けている、
スマホやデジカメの写真達。
上記とは、捨てれば、消せば、
それで自分も洗練されるのか?
僕の場合は、必ずしもそうではなさそうです。
★余計に買わなくても満足できる
★別に観なくても安心できる
★知らなくても揺れないで済む
★所有しなくても寂しくない
★ないならないで何とかなる
そういう自分を確立してこそ、
運は洗練されていきます。
ただ断ち捨て手離すだけじゃ、
また元の場所に戻ってくるだけです。
本当に断捨離すべきは、
『持ってないと不満な自分』
『取っておかないと不安な自分』
『余分を欲しがる欲張りな自分』
と言えそうです。
そこを解決できさえすれば、
わざわざ断捨離などしなくても、
自然と周囲は洗練されていくでしょう。
断捨離という行為が、
無駄だと否定しているわけではないです。
むしろ、とても大切だし、
運を洗練させるために、
有効な具体策だと思います。
けれど、
『断捨離の快楽』
に埋もれて見逃しちゃうことがあっちゃ、
もったいないと思うのです。
★着ない服
★使わない道具
★読まない本
などを整理し、分別し、手離す。
その行為そのものは、
見える運の洗練として、すごく吉。
その後に、
『これでまた買える』
『他にもまだ足せる』
『別のあれを欲しい』
という場所に戻ってこないために。
『なくても意外と大丈夫な自分』
を、改めて確認して吉。
それだけで、運は全然違ってきます。
『自分のものにしないと喜べない』
『持っていないことが不安』
『迷ったときは買え』
だとかは、時に自分らしさを、
曇らせてしまうリスクあり。
『今あるもので、十分じゃない?』
『ないならないなりに、やってけるもん』
『必要なものは、既に揃ってる!』
この感覚を真ん中において、
定期的に断捨離をすることができたら、
さらに豊かな感覚で、
自分磨きに取り組めるようになります。
断つとは、七赤金気の行為。
それは自分磨きの作業。

捨てるとは、五黄土気の行為。
新陳代謝の促進。

離すとは、九紫火気の行為。
自らの尊厳の確認。

モノの管理の話だけではない、
運を整えるための断捨離。
なんてことをボンヤリ意識しつつ、
日々、削れるものは無いかを探す、
そんな感覚がバランス良いと思います。
それでは☆
★質問専用エントリー6
ご質問はこちらのコメント欄にて承ります。
記事本文とは関係のないご質問であっても、
こちらにコメントいただければご返信いたします☆
★Twitterはこちら
毎日の運勢や個人的に気になる出来事など、
身近な偶然の必然をつぶやいています。
フォローしていただけると嬉しいです☆
離れることで得られる開放感、
そういうことの大切さ、あるでしょう。
捨てるまでの間は、
漠然とした未練を感じるけれど、
きれいさっぱり無くしてしまえば、
とても軽やかで清々しい気持ち、
僕も良く実感できます。
特に現代のように、
欲に囲まれた世界においては、
断ち、捨て、離すことの必要性と必然性、
良く分かります。
けれど。
その瞬間的な快楽や、
一時的な達成感に惑わされて、
『所有する喜びと安心感』
に依存していた自分を、
野放しにしてはいませんか?
それじゃあ、断捨離を頑張ったところで、
運は洗練されません。
それって本当に断捨離?
買っただけで満足しちゃって、
ろくに目を通さない雑誌を捨てる。
そしてまた、読みもしないのに、
新しい雑誌を買い込んでくる。
恥ずかしながら、僕のことです。
申し込んではみたものの、
全然手をつけない資格教材。
高かったし、いつかやると決めてたから、
ずっと捨てられなかったんだけど、
未練を断ち切るために思い切って廃棄。
そして次こそは頑張ろうと、
新しい教材にチャレンジ!
で、想定外の案の定、
やっぱりまた放置。
それでは何も断捨離できていません。
ブックマークはしてあるものの、
二度とチェックしないウェブサイト。
録画だけはしたものの、
時間があっても観ないテレビ番組。
そのうち整理しよう、
を合言葉に貯め続けている、
スマホやデジカメの写真達。
上記とは、捨てれば、消せば、
それで自分も洗練されるのか?
僕の場合は、必ずしもそうではなさそうです。
本当に断捨離すべきもの
★余計に買わなくても満足できる
★別に観なくても安心できる
★知らなくても揺れないで済む
★所有しなくても寂しくない
★ないならないで何とかなる
そういう自分を確立してこそ、
運は洗練されていきます。
ただ断ち捨て手離すだけじゃ、
また元の場所に戻ってくるだけです。
本当に断捨離すべきは、
『持ってないと不満な自分』
『取っておかないと不安な自分』
『余分を欲しがる欲張りな自分』
と言えそうです。
そこを解決できさえすれば、
わざわざ断捨離などしなくても、
自然と周囲は洗練されていくでしょう。
断捨離に潜む危険性
断捨離という行為が、
無駄だと否定しているわけではないです。
むしろ、とても大切だし、
運を洗練させるために、
有効な具体策だと思います。
けれど、
『断捨離の快楽』
に埋もれて見逃しちゃうことがあっちゃ、
もったいないと思うのです。
★着ない服
★使わない道具
★読まない本
などを整理し、分別し、手離す。
その行為そのものは、
見える運の洗練として、すごく吉。
その後に、
『これでまた買える』
『他にもまだ足せる』
『別のあれを欲しい』
という場所に戻ってこないために。
『なくても意外と大丈夫な自分』
を、改めて確認して吉。
それだけで、運は全然違ってきます。
断捨離が運に与える影響
『自分のものにしないと喜べない』
『持っていないことが不安』
『迷ったときは買え』
だとかは、時に自分らしさを、
曇らせてしまうリスクあり。
『今あるもので、十分じゃない?』
『ないならないなりに、やってけるもん』
『必要なものは、既に揃ってる!』
この感覚を真ん中において、
定期的に断捨離をすることができたら、
さらに豊かな感覚で、
自分磨きに取り組めるようになります。
断つとは、七赤金気の行為。
それは自分磨きの作業。

捨てるとは、五黄土気の行為。
新陳代謝の促進。

離すとは、九紫火気の行為。
自らの尊厳の確認。

モノの管理の話だけではない、
運を整えるための断捨離。
なんてことをボンヤリ意識しつつ、
日々、削れるものは無いかを探す、
そんな感覚がバランス良いと思います。
それでは☆
★質問専用エントリー6
ご質問はこちらのコメント欄にて承ります。
記事本文とは関係のないご質問であっても、
こちらにコメントいただければご返信いたします☆
★Twitterはこちら
毎日の運勢や個人的に気になる出来事など、
身近な偶然の必然をつぶやいています。
フォローしていただけると嬉しいです☆
コメント
コメント一覧
はじめまして、堂園と申します。
ご連絡の窓口がわからなかったので、こちらのコメント欄で失礼いたします。
いきなりで大変恐縮なのですが、以前のブログ内で、一つ削除して頂きたい文言が ございます。
2009/10/22 の記事「堂園〜(恋愛〜)」のくだりです。
大変お手数ですが ご協力頂けましたら幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
堂園
堂園さん
> 大変お手数ですが ご協力頂けましたら幸いです。
ご迷惑をおかけしているとしたら恐縮なので、
エントリーごと全て削除しました。
ご確認をよろしくお願いいたします。
早速のご対応、大変ありがとうございます。
ただいま、こちらからも確認させて頂きました。
お忙しい中、本当にありがとうございました。
堂園