『何のために生きているか分からないまま、
ただ時間を浪費するように生きるなんて堪えられない』


なんていう志の高い生き方とか、


『生かされている意味を実感しながら、
全てのものに感謝して生きる』


なんていう意識の高い生き方は、
本当に素晴らしいし、尊敬いたします。


けれど。


僕にとっては、いまだその領域に達しないまま、
模索するように迷い生きる姿もまた、
過程において必要な偶然の必然だと感じられます。


成り行きの重要性 〜意志はなくてもかまわない〜


上記のエントリーでもお伝えしましたが、
運の世界では、自然の流れや、
成り行きと呼ばれるものを重要視します。


目標がはっきりしていて、今、成すべきことが分かっている人は、
その大志や目標へ向かって、自信を持って進めば良いでしょう。


それが、その人の成り行きというやつです。


じゃあ、今、成すべきことが分かっていない場合はどうしたら良いのか?


方向性が分からないまま見切り発車する先にあるものなんて、
不確かであやふやなものなのではないか?


どうしたら良いか分からない内は、どうすることもできないんじゃないか?


そんな風に考え始めると、人って、本来簡単で簡素なことまで、
難しく複雑に考え始めてしまいます。


思うように進むことができない試行錯誤の過程では、
自分の理屈の中で、もしくは感情によって、
何でもかんでも難しくしちゃう。


調子が悪いと、簡単なことも難しくなっちゃう。
停滞した自分が、自ら複雑に難しくしちゃう。


そうじゃあ必要な成り行きにはたどり着きにくいです。


分かっていない期間の暗中模索もまた偶然の必然とするならば、
あんまり難しく考えようとせず、そのまま迷い悩み、
必要な停滞期間をもがき続ければそれで吉。


あんまりナナメから物事を考えようとせず、
与えられた機会や役割や仕事を全うし、
自分ができることに専念していけば、いずれ道は開けます。


・分かっていることが吉で、分かっていないことが凶
・あることが吉で、ないことが凶
・できることが吉で、できないことが凶


そんな風に全てを割り切ってスッキリしたくなることもあるでしょうが、
それはあくまで個々の都合においてのみ言えることで、
運の世界においては、そんな基準はないです。


分かっていなくても手に入る幸運、あります。
できないことが多い状態でも繋がることができる良縁、あります。


運の良し悪しと目的・志の有無は無関係。


あるならあるなりに、
ないならないなりに、
今を素敵に過ごして吉。


そこはシンプルであるほどに、運も整いやすくなるはずです。


それでは☆