
自分で自分のことなんて、分かんなくてもいんじゃないか。
自分が自分のことを、一番知らない、ってことは自然なんじゃないか。
自分以外の周囲の人の方が、客観的な立場と視点から、
より正確に自分のことを把握し理解してくれている、
なんてことも、あり得るんじゃないか。
自分の姿を見るのに鏡を使うという行為は、
単なる姿見だけではなくって、
『自分の姿は自分じゃ見れないんだよ』
という、自然からのメッセージのような気がします。
ただ、容姿や動きは鏡というツールを使えば、
自分で確認することもできますが、
・才能
・能力
・実力
・調子
・運気
・個性
・長所
・短所
・弱点
・魅力
そういった鏡に映らないものは、
どのような方法で認識し受け止めれば良いのか?
『自分のことだもの、自分が一番良く分かってるでしょう』
とは限らないでしょう。
で、冒頭の一文に戻る訳です。
『あなたの才能はなんですか?』
『あなたの個性はなんですか?』
『あなたの魅力はなんですか?』
と質問されて、すぐに分かりやすく答えられる人、
そんなに沢山はいないんじゃないかなと思うのです。
けれど。
僕は自分のことも、自分意外の他人のことも、
たずねられたら、即答できます。
その才能も個性も魅力も。
10秒間だけ時間をもらえたら、
最低5つはその素晴らしさを、
立て続けに並べられる自信があります。
それはもちろん、鏡を使って見抜くのではなく、
直感でも経験でも、当然、口からでまかせなんかでもありません。
九星学というロジックを用います。
『いやいや、自分にはそんな力ない』
『そんなの買いかぶり、自分に魅力はない』
『そんなに褒めてもらっても、信じられない』
そんな風に謙遜をする人もいるかもしれませんが、
一切、そんなことはお構いなしです。
それでもあなたは魅力的。
誰がなんといおうと、素敵な個性がある。
生年月日によって当人の特色を推測する九星学を、
当たり外れを楽しむ占いとして利用するのは、
エンターテイメントとして十分成立する素敵なことですが、
それだけで終わらせてしまうのでは、ちょっともったいない気がします。
この世界に、自分の運まで正しく映し出してくれる、
スペシャルな鏡が発明されるその時まで、
『自分を知る手がかり』
として、時々、参考にしてみるのも、
悪くないんじゃないかなと思います。
それでは☆
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