ブログでも、講座でも、鑑定の場でも、


『○○と思います』


という表現を、ものすごく意識的に使っています。


『西企画では、どう考え、どう動くか』
『一般論や平均値ではなく、西企画の意見は何か』
『西企画においては、過去にどう対処してきたか』


そんな具体例をご提案するのが、
自分達の仕事だと理解しています。


結果として、


『自分だったらこうだと思うよ』


というような、曖昧な余地を残す言い回しが多くなるのでしょう。


理論のみで吉凶をはじき出し、スパッと断言するのは不得意です。


現実の生活や都合を一切無視しし、
できるできないに関係なく答えを出せば良いのなら、


『○○です』
『○○しかありません』
『○○以外は全て凶です』


と、言い切ってしまえるのかもしれません。


けれど、全ての人に当てはまるような、
だた1つの答えなんてありません。
あえて凶を選ぶことが、必要な答えとなる人も中にはいます。


理論上の吉凶とはあくまで判断基準の内の1つでしかない以上、
運の知識を固定観念としないように気を付けています。


また、


『○○は大丈夫?』
『○○したらダメ?』
『○○しても良いよね?』


と結論を託された時には、
責任を取ることも保証をすることもできないので、


『僕が当事者であったならば、○○する思います』


とお伝えするようにしています。
そこから先の選択は、ご自身でしてもらいます。


自分の運は自分にしか決められません。
そのためのヒントの提案までしか、僕はお手伝いできません。


心情的には、


『○○しても大丈夫!』
『○○したら絶対ダメ!』
『○○しても良い!私が許可する!』


と、太鼓判を押してあげたい所ですが、
本来、その権限は、自分以外の他人に預けてはいけない種類のもの。


というか、他人に決めさせてはいけないものです。


だから、運を気にしている人は、もっともっと、自信を持って、
自分が大切だと信じることを、自由な心と体と魂で、
選んでいって良いと思います。


そんな自由な人生を指差し、


『そんなのは凶だ!』
『ああしてはならない!』
『こうしなければいけない!』


と、歯切れ良く断言してくれる人もいっぱいいるでしょうが、
そういう外野の人は、多くの場合、
誰も未来を保証してくれないし、責任も取ってくれません。


例えば家族や両親のように、自分の人生をかけて、


『良い!』
『悪い!』


と言い切ってくれる人の意見は、
真正面から受け止め参考にする価値があります。


一方、無責任な立場から理論だけを盾に吉だの凶だの言う人の台詞は、
真に受けない方が、お互いに間違いが少なくて良いと思います。


他人の提案とは、相手が素人か玄人かに関係なく、
あくまで1つの意見であり、自分にとっての答えではありません。


答えは常に、自分の中にのみある。
周囲の意見も、運の吉凶も、それを探すためのヒントでしかない。


そこを見失わなければ、どんな道を選んだとしても、
それが自分にとっての吉である、と、僕は思います。


それでは☆


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