
占いは、頼るものではなく、信じるものでもなく、
ヒントや支えとして、利用するもの。
そもそも決断や選択とは、誰かにさせられるものではなく、
自分が自己責任のもと下してこそ、自分の人生を生きられる。
『あの人がこう言ったから』
『この人はこうだったから』
『世間ではこうみたいだから』
これが決断と選択の根拠になることもあります。
それで上手くいっているときは良いかもしれません。
けれど、失敗してしまった場合の言い訳として、
『あの人があ』
『この人はあ』
『世間ではあ』
は通用しない。
皮肉なことに人というのは、成功しているときよりも、
失敗したときこそ、器や、人格、運を試され計られるようです。
そこで失敗の理由を誰かや何かに押し付けている内は、
なかなか本当の幸運と良縁を手に入れることができません。
そういうわけで。
結局、本当の意味で最も頼りになるのは、自分。
大事な場面であるほどに、責任を取れるのは自分だけ。
運勢とか運命だとかの情報は、
ヒントにはなっても理由には成り得ないのです。
上記を踏まえて。
どこ派の誰先生の、どんな鑑定を参考にしようと、
それを選んで実行するのは、自分。
他の誰でもなく、自分。
例えば僕は、僕の持っている運の知識を元に、
仕事も生活も、判断し、決断をします。
そこに何の迷いもありません。
仮にその時、他の高名な先生方に、
『あなたは間違っている』
と言われたとしても、僕は僕の出した答えに、一切の不安を持ちません。
それは、僕が僕の知識やロジック、西欽也の教えや経験を、
ただ単純に妄信しているからではなく、僕が僕の自己責任のもと、
僕の人生を決めているからです。
どんな占い師さん、鑑定士さん、専門家さんにも、
みな共通して言えることなのですが、
仮にその方の言う通りに決めて動いて、でも失敗したとします。
私がやりたくてやったわけじゃなくて、
先生様が吉というからやったのに、失敗したのです。
でも、先生様は、こう言うはずです。
『私は、吉とは言ったけれど、保証はしなかったし、保障はしない』
そこで結局、責任は自分が取らされることになります。
残念ながら、自分の人生を他人に丸投げした時点で、
負のシナリオは始まっていたのだろうと思います。
そういうのって、何も運に限った話ではない、自然の摂理です。
ただ、問題なのが、運の専門家の提案には、
自己責任を軽視させて、思わず頼りたくなっちゃうような、
そんな甘い魅力が、多分に含まれているように感じます。
自分の頭で考えることを放棄し、体で示すことを忘れ、
ただ身も心も委ねたくなっちゃうような響きが、そこにある。
だから、中途半端に知識を持つと、危険。
これは間違いなく言えることですが、
自分がどんなに優秀な才能を持つ人間であったとしても、
占いに頼り始めると、人は本来の魅力・才能を曇らせます。
また、人は本来の魅力や才能を曇らせ、
エネルギーの停滞が始まると、
運を気にし始め、占いに頼り始めます。
それは、凶です。
本物の幸運と良縁を望むならば、占いに限らず、
何を信じるかということよりも、自分をどう信じるか、
そこを中心に、人生を組み立てて行くべきだと思います。
それは言い方を変えれば。
運の知識で自分を縛ることなく、
それを知ることで軽やかになる想いや、
活かすことでもらえる勇気を、大切にすること。
当たり外れの精度より、頑張るエネルギーにできるかどうかを重視すること。
生きて行く上で必要な、
『頑張る原動力』
になるのかどうか。
そういう意識で運の知識と接することができれば、
僕達は、僕達の自由な意思や自分らしさを乱すことなく、
運のあるライフスタイルを楽しめるのではないかと思います。
それでは☆
コメント