DCIM3110

占いは、頼るものではなく、信じるものでもなく、
ヒントや支えとして、利用するもの。


そもそも決断や選択とは、誰かにさせられるものではなく、
自分が自己責任のもと下してこそ、自分の人生を生きられる。


『あの人がこう言ったから』
『この人はこうだったから』
『世間ではこうみたいだから』


これが決断と選択の根拠になることもあります。


それで上手くいっているときは良いかもしれません。


けれど、失敗してしまった場合の言い訳として、


『あの人があ』
『この人はあ』
『世間ではあ』


は通用しない。


皮肉なことに人というのは、成功しているときよりも、
失敗したときこそ、器や、人格、運を試され計られるようです。


そこで失敗の理由を誰かや何かに押し付けている内は、
なかなか本当の幸運と良縁を手に入れることができません。


そういうわけで。


結局、本当の意味で最も頼りになるのは、自分。


大事な場面であるほどに、責任を取れるのは自分だけ。


運勢とか運命だとかの情報は、
ヒントにはなっても理由には成り得ないのです。


上記を踏まえて。


どこ派の誰先生の、どんな鑑定を参考にしようと、
それを選んで実行するのは、自分。
他の誰でもなく、自分。


例えば僕は、僕の持っている運の知識を元に、
仕事も生活も、判断し、決断をします。


そこに何の迷いもありません。


仮にその時、他の高名な先生方に、


『あなたは間違っている』


と言われたとしても、僕は僕の出した答えに、一切の不安を持ちません。


それは、僕が僕の知識やロジック、西欽也の教えや経験を、
ただ単純に妄信しているからではなく、僕が僕の自己責任のもと、
僕の人生を決めているからです。


どんな占い師さん、鑑定士さん、専門家さんにも、
みな共通して言えることなのですが、
仮にその方の言う通りに決めて動いて、でも失敗したとします。


私がやりたくてやったわけじゃなくて、
先生様が吉というからやったのに、失敗したのです。


でも、先生様は、こう言うはずです。


『私は、吉とは言ったけれど、保証はしなかったし、保障はしない』


そこで結局、責任は自分が取らされることになります。


残念ながら、自分の人生を他人に丸投げした時点で、
負のシナリオは始まっていたのだろうと思います。


そういうのって、何も運に限った話ではない、自然の摂理です。


ただ、問題なのが、運の専門家の提案には、
自己責任を軽視させて、思わず頼りたくなっちゃうような、
そんな甘い魅力が、多分に含まれているように感じます。


自分の頭で考えることを放棄し、体で示すことを忘れ、
ただ身も心も委ねたくなっちゃうような響きが、そこにある。


だから、中途半端に知識を持つと、危険。


これは間違いなく言えることですが、
自分がどんなに優秀な才能を持つ人間であったとしても、
占いに頼り始めると、人は本来の魅力・才能を曇らせます。


また、人は本来の魅力や才能を曇らせ、
エネルギーの停滞が始まると、
運を気にし始め、占いに頼り始めます。


それは、凶です。


本物の幸運と良縁を望むならば、占いに限らず、
何を信じるかということよりも、自分をどう信じるか、
そこを中心に、人生を組み立てて行くべきだと思います。


それは言い方を変えれば。


運の知識で自分を縛ることなく、
それを知ることで軽やかになる想いや、
活かすことでもらえる勇気を、大切にすること。


当たり外れの精度より、頑張るエネルギーにできるかどうかを重視すること。


生きて行く上で必要な、


『頑張る原動力』


になるのかどうか。


そういう意識で運の知識と接することができれば、
僕達は、僕達の自由な意思や自分らしさを乱すことなく、
運のあるライフスタイルを楽しめるのではないかと思います。


それでは☆