僕は毎日の生活や仕事の中で、時期や方位の吉凶を意識し、
細かくこだわりながら暮らしているわけではありません。


というかむしろそんなことはほとんど気にせず、
無意識で人と会ったりご飯を食べたり、
会議をしたり文章を書いたり、
ブログを更新したりコンビニに寄ったりして、
比較的、自由に毎日を過ごしています。


何なら『普通の会社員』の方よりは自由度は高いかもしれません。


少なくとも、過去10年間において、


『運を気にしているせいで生活も仕事も不自由だなあ』


というようなストレスは、一切全く全然感じたことがありません。


子供の頃は細かい所で、常にすごく不満あったけれど。


『何で凶方位だからって、僕だけ友達の家に、泊まりに行っちゃいけないの!』


なんて風に。


とは言え、部活の合宿も、修学旅行も、習い事も、
偏った運の知識で選択肢を限定されることなく、
みんなと同じように必要に応じてやらせてくれた両親だったので、
運への理不尽さみたいなものは、そこまで強くはなかったです。


とは言え、上記に挙げたような僕の幼少期の生活や今の働きぶりは、
運の知識を前提としない一般的な通常とは、ちょっと違う部分もあるので、
比較対象にはならないとして。


それでもなお、


・九星学
・運勢学
・方位学
・家相学
・陰陽学


などの知識が必要となるのは、
よほど特殊な環境に身を置いていない限り、
毎日ではないと思います。


むしろ、普段はそんなことを気にせず、
自由に、伸びやかに暮らした方が、
運は良くなるんじゃないか、と感じることが多いです。


『運』や『方位』や『占い』に、
一喜一憂しながら余計な心配を膨らませ、
落ち込んだり頑なになってしまう、
そんな人と接する度に、そういう思いを強くします。


一方で。


人生の節目となるような大きな転換期や、
努力だけではどうにもならない不調時、
または環境の変化を伴うような行動の際は、
普段いい加減に過している僕でさえ、運を強く意識します。


1人では答えを出せないような、
険しい迷い、壁にぶつかった時は、
目に見えない運の流れを客観的に意識し、
それを自分の仕事や生活に結び付けられないか、
改めて過去と現在・未来を見つめ直す機会を作ります。


それこそが、『運』と呼ばれる、
一般的には実体がなくて不確かな分野との、
健康的な距離感だと西欽也から教わりました。


運を知って落ち込んだり、
運を知った後の方が不自由になったり、
運を知ることで不安が増したりするような、
そんな運であるならば、信用するに値しません。


未来への方向性を知ることや、
良い時期、良い方位が分かること、
自分の個性や才能に気付けることは、
本来、とても明るくて前向きなことでしょう?


それがきっかけとなって解放されリラックスできる、
そんな素敵な状況を望むからこそ、


『運を知りたい』


とお勉強をしに講座に訪れたり、
時間を作って本を読んだり、
安いとは言えない料金を支払って鑑定を依頼するはずです。


運とは、常に忘れることなく意識するものではなく、
また、細かな部分を詳細に知って完璧に実行するのではなく、


『ここぞ、という時の後押しが必要な時』


に、


『明るく前向きに生きていくためのヒント』


として、ライフスタイルに取り入れてもらえたら、
もっと上手にそれらの『知識』『情報』を、
活かせるのではないか、と思います。


最悪、これだけは避けて欲しい、というのが、以下のパターン。


・普段はテレビや雑誌などの占いを細かく気にするくせに、
・大切な人生の決断は誰にも相談せず勝手に下して、
・答えが決まってから家族や友人に事後報告をし、
・それが上手く行かなかったらまた運を気にし始めて、
・どうして上手く行かないのか占い師の所に相談しに行く。


それって、本当に良くない流れだと思います。


今日の占いカウントアップだとか、
今月の乙女座の恋愛指数だとか、
今年の三碧木星のラッキーファッションだとかなんて、
チラッと眺めてフンフン楽しんで、
次の瞬間には忘れてしまうくらいが丁度良いです。


そうではなく、


・住居の建築
・就職や転職や辞職
・結婚や離婚


などの人生の節目においては、様々な現実的な配慮と合わせ、
運や縁起を気にしてみても、損はしないと思います。


それでは☆


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