『占い』と呼ばれる分野には色々な考え方があって。
例えば、相性診断とか、相性占い。
多くの専門家の方は、相性は『ある』と言います。
僕は『ないに等しい』と言います。
生年月日や血液型だけで縁は決まらない。
本当はどっち?
例えば方位。
ハワイは北東だと言う専門家は多いです。
僕はハワイは東だと考えます。
正距方位図法の地図によると確かに東。
嘘はどっち?
色々な人が吉とするもの、凶とするもの、
その判断基準の多様性や違い、根拠の出所、
それが人それぞれで異なる場合、最も信用できるのはどれなのか?
この業界、国によって定められた統一見解や、
共通の法律・罰則規定みたいなものがなく、
鑑定する本人の受け止め方次第で諸説がいっぱい氾濫します。
あの人は白と言っているのに、この人には黒と言われた。
なんてことは日常茶飯事です。
そしてそのことが裁判で争われることは皆無だし、
その結果、白黒がハッキリつかないまま、
責任の所在もあやふやになって、
『何が正しいか良く分からない怪しいロジック』
という不信感が残ります。
誰が真実を教えてくれて、誰は嘘をつきやがるのでしょう?
僕が運勢学を学び始めて、最初にブチ当たった壁が、それでした。
何を信じたら良いの?
どれが正しい答えなの?
誰が正解を知ってるの?
どの本に答えが書いてあるの?
せめて間違いがどれかだけでも分からないの?
それは、誰にも分からないことだと思います。
答えはきっと神様だけが知ってる。
だから、多くの場合、主観で判断するしかない。
この世界で見つかる答えは1つじゃないから、答え合わせは簡単じゃない。
そんな曖昧でアヤフヤな占い・鑑定という生業で、
お金をもらって生活をしている僕が、
常に忘れないように心がけている1つのポリシーがあります。
それは…
『僕がこの身で実際リアルにやっていることしか言わない』
という自分内ルールです。
僕の鑑定方法は、その他のアカデミックで厳格で、
歴史ある伝統的理論と違って、すごく制約がゆるくてお気楽なものです。
どうしてか?
僕が実際にやってみて、継続的に実行可能だったものしか、
みんなにご紹介したくないからです。
難しかったり制限が多かったりすると、
理論は大層だけれど絵に描いたモチ。
机上の空論になりかねません。
言うだけなら簡単。
やるのは難しい。
そして僕はすごく怠け者で不真面目です。
そんな僕というフィルターを通し、
比較的実行が容易で、続けられているスタイルが、
このブログでご紹介している色々な情報です。
もしも色々な人から色々なアドバイスをもらって、
どれにしようか迷ったり、不安になったりした時、
ロジックそのものの信憑性や書物の根拠などに答えを探そうとしても、
科学的証明や正当な統計データ、数値による実証が見つかることは絶対にないし、
むしろ探せば探すほど様々な価値観にぶつかって迷いが深まることが多いです。
そんな時は、
・実践可能かどうか?
・言ってる人はやってるか?
・現実的に無理のない範囲の提案か?
を確認し、判断をするのが、最も納得できるような気がします。
口ばっかり達者な人が提案する、実践と経験を伴わない意見は、
正しくてもいまいち信用することができないはずです。
僕の話を聞いてもらうための根拠は、
僕のライフスタイルにあると思っています。
で、その肝心の僕のライフスタイルは、
『生活に密着した活きた知識』
『毎日の中で自然と実行できること』
『気が楽になる考え方と動き方』
です。
まずはそんな気楽な所から運の世界に入り、
少しずつ知識や経験を深める中で、
自分にぴったりの『正解』を自分で手に入れられると、
良いのではないかと思います。
複数ある理論や法則・ルールの選択肢に、
迷ったり悩んだりした時は、
たった1つの正解を、外の世界に探そうとせず、
自分の中にそれを見つけ出す冒険に出かけて吉。
運の世界における正解とは、
誰かが決めてくれることではなく、
自分が選び定めるものです。
その過程で他人の意見を参考にする時は、
知識や理論以上に、それを語る当人の実践を見て吉。
それでは☆
例えば、相性診断とか、相性占い。
多くの専門家の方は、相性は『ある』と言います。
僕は『ないに等しい』と言います。
生年月日や血液型だけで縁は決まらない。
本当はどっち?
例えば方位。
ハワイは北東だと言う専門家は多いです。
僕はハワイは東だと考えます。
正距方位図法の地図によると確かに東。
嘘はどっち?
色々な人が吉とするもの、凶とするもの、
その判断基準の多様性や違い、根拠の出所、
それが人それぞれで異なる場合、最も信用できるのはどれなのか?
この業界、国によって定められた統一見解や、
共通の法律・罰則規定みたいなものがなく、
鑑定する本人の受け止め方次第で諸説がいっぱい氾濫します。
あの人は白と言っているのに、この人には黒と言われた。
なんてことは日常茶飯事です。
そしてそのことが裁判で争われることは皆無だし、
その結果、白黒がハッキリつかないまま、
責任の所在もあやふやになって、
『何が正しいか良く分からない怪しいロジック』
という不信感が残ります。
誰が真実を教えてくれて、誰は嘘をつきやがるのでしょう?
僕が運勢学を学び始めて、最初にブチ当たった壁が、それでした。
何を信じたら良いの?
どれが正しい答えなの?
誰が正解を知ってるの?
どの本に答えが書いてあるの?
せめて間違いがどれかだけでも分からないの?
それは、誰にも分からないことだと思います。
答えはきっと神様だけが知ってる。
だから、多くの場合、主観で判断するしかない。
この世界で見つかる答えは1つじゃないから、答え合わせは簡単じゃない。
そんな曖昧でアヤフヤな占い・鑑定という生業で、
お金をもらって生活をしている僕が、
常に忘れないように心がけている1つのポリシーがあります。
それは…
『僕がこの身で実際リアルにやっていることしか言わない』
という自分内ルールです。
僕の鑑定方法は、その他のアカデミックで厳格で、
歴史ある伝統的理論と違って、すごく制約がゆるくてお気楽なものです。
どうしてか?
僕が実際にやってみて、継続的に実行可能だったものしか、
みんなにご紹介したくないからです。
難しかったり制限が多かったりすると、
理論は大層だけれど絵に描いたモチ。
机上の空論になりかねません。
言うだけなら簡単。
やるのは難しい。
そして僕はすごく怠け者で不真面目です。
そんな僕というフィルターを通し、
比較的実行が容易で、続けられているスタイルが、
このブログでご紹介している色々な情報です。
もしも色々な人から色々なアドバイスをもらって、
どれにしようか迷ったり、不安になったりした時、
ロジックそのものの信憑性や書物の根拠などに答えを探そうとしても、
科学的証明や正当な統計データ、数値による実証が見つかることは絶対にないし、
むしろ探せば探すほど様々な価値観にぶつかって迷いが深まることが多いです。
そんな時は、
・実践可能かどうか?
・言ってる人はやってるか?
・現実的に無理のない範囲の提案か?
を確認し、判断をするのが、最も納得できるような気がします。
口ばっかり達者な人が提案する、実践と経験を伴わない意見は、
正しくてもいまいち信用することができないはずです。
僕の話を聞いてもらうための根拠は、
僕のライフスタイルにあると思っています。
で、その肝心の僕のライフスタイルは、
『生活に密着した活きた知識』
『毎日の中で自然と実行できること』
『気が楽になる考え方と動き方』
です。
まずはそんな気楽な所から運の世界に入り、
少しずつ知識や経験を深める中で、
自分にぴったりの『正解』を自分で手に入れられると、
良いのではないかと思います。
複数ある理論や法則・ルールの選択肢に、
迷ったり悩んだりした時は、
たった1つの正解を、外の世界に探そうとせず、
自分の中にそれを見つけ出す冒険に出かけて吉。
運の世界における正解とは、
誰かが決めてくれることではなく、
自分が選び定めるものです。
その過程で他人の意見を参考にする時は、
知識や理論以上に、それを語る当人の実践を見て吉。
それでは☆
コメント