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目に見えないものを、運って呼ぶ。

目に見えないから、運として考える。

運は目に見えないだけに、見つけにくい。

実体がないから分かりにくい。

不確かで怪しくて、あるかどうかもアヤフヤ。

そんなイメージを、誰もが少なからず持っているような気がします。

ところが。

体系的な運の知識をある程度持っていると、

★見えなかったはずの運が見えてくる。
★見つけにくかったはずの運が見つけやすくなる。
★分かりにくさや不確かさや怪しさが薄れてくる。

そんな実感がジワジワ湧いてくるようになります。

何なら、聴こえるようになり、触れるようにもなります。

これは決してスピリチュアルな第六感的超能力の話ではありません。

特別な能力を持たずとも、自分の五感で当たり前に運と向き合えます。

知識にはそれだけの力があります。

嘘だと思う人がいるかもしれないので、知識の効能の具体例をいくつか。

トリュフが好きでもトリュフの見つけ方を知らない人にとって、
それは見えないし聴こえないし、無いのと一緒です。

(トリュフ犬ってすごい)

目的地が明らかでも経路を知らなければ辿り着くことはできません。

(地図やナビゲーションシステムは偉大)

忘れたことを忘れなければ忘れ物なんてなくなります。

(忘れたのを思い出せれば忘れ物に気付くのは簡単)

だから、知識って、すごいです。

知識があれば、運に触れることは、可能。

だから、九星学や運勢学や方位学は、全ての人にとって、
ある程度まで学ぶ価値が確かにあると思います。

でも。

そうすると、

★とても細かい部分まで気になってしまう人
★知識に縛られ生きていくのが不自由になってしまう人
★凶の悪影響ばかりが苦になり知るほど不安になる人

などが一定数出てきてしまうから、残念です。

運を特別な第六感で感性的に探ろうとするのではなく、
自分に備わる五感で理性的に捉える意識や生き方は、
僕も心から共感できるし、そうありたいと常に目指しています。

でも、知識を学ぶほどに、いつの間にか、
知識の価値ばかりをありがたがってしまうことがあるから、
そういう自分が怖いです。

そして、知識を通して触れる、
運そのものの大切さを見失ってしまうのは、
もっと恐ろしいことだと思います。

そもそも、運の知識とは、運に触れたい人へ、

『どう探したら良いか?』

よりも、

『どこを探したら良いか?』

のヒントを与えてくれるものです。

探すべき場所が分かったら、そこから先に必要となるのは、
自分自身が、その時点で使える、手持ちの能力です。

守護霊や背後霊の力を借りる必要はないし、
第三の目やサイキックパワーや神通力などに、
頼っている場合ではありません。

運の知識を学び、運の見所を知ったら、
そこから先は、昨日までのように会い、昨日までのように働き、
昨日までのように暮らす、そのリアルライフこそが不可欠です。

家から出ないで水晶玉ばかり見ていても、運なんて見つかりません。

働きもしないで仕事運が手に入ると思ったら大間違いです。

修行や儀式を優先し、暮らしを疎かにするのは、運から最も遠い生き方です。

運の知識は、

『いつが吉時期か』

を教えてくれるかもしれません。

でも、そこで何をどうするかは、自分にかかっています。

その先に、見つかる運があるわけです。

『どこが吉方位か』

を教えてくれることもあるでしょう。

でも、そこへどう出かけどう過ごすかは、自分次第です。

その先に、気付く未来への道があるはずです。

吉時期に奇跡を期待しても意味がないし、
吉方位で幸運に頼っても何も起こりません。

そこから先、必要となるのは、自分自身の力。

その分別が身につくと、この世界に溢れる多くの運に、
ビックリするのではないかと思います。

それでは☆

お知らせ
★新春イベントのお知らせまとめ

毎年恒例、1月の新春イベントのお知らせです。

・新春開運講座(桐生/甘楽/千代田)
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《西企画の日常:名前の由来》

ある日の夢の中で、ストーリーは忘れましたが、

『子鹿のシャンピエントフ』

というキーワードが降りてきまして。

その時点では、まだ犬も猫も仲間に入れるつもりはなかったし、
なんなら次も縁があれば犬がいいと思っていたし、

『次にうちに来る犬は、子鹿のシャンピエントフにしよう』

くらいの気持ちでいました。

その2ヵ月後にやってきたのが、小さな猫だったわけです。

だから、シャンピエントフが何語なのかも、
どうして子鹿なのかも、僕には分かりませんが、
なかなか良い名だと満足しています。

今では西欽也も『おいシャンピ!』と呼んで目を細めています。
名前の由来