『あなたは今年、厄年だ、だから運が悪い気をつけろ』
と言われた(もしくは見せられた)、僕の大切な人達へ。
または、来年、そういう年を迎えることになり、
『大変だね、大丈夫、お祓いしなよ』
と、頼んでもいないのに言われ聴かされた方々へ。
全く気にする必要はありません。
だからどうか、変に不安にならないで下さい。
そこに明確な根拠やロジックはありません。
そういう見方をする理由は、あるにはあるのですが、
それって主観的で偏ったバランスの悪い見方です。
そもそも。
『あんた厄年だから、しばらく不幸が続くよ』
『厄年の時は、一切何をやっても全部ダメだよ』
『厄年だよ!病気になるよ!お金が出てくよ!恋人と別れるよ!』
そういうことを軽々しく言ったり、無責任に見せたりするのは、
・本格的には運勢学を学んでいない人
・運勢学を専門としてはいない人
・自然の流れを誤解(曲解)している人
・不安を煽ることでビジネスチャンスを広げようとしている人
・そういう風に言わないと困るような特殊な事情を隠している人
だいたいが、このいずれかに当てはまります。
僕は、そこそこの運の知識を持ち合わせていて、
かつ、そこそこの年数、それを仕事としていて、
比較的ベーシックな考え方を根拠に、
フラットな裏表のない立場からお伝えします。
厄年だから運が悪い、なんてことは決してないです。
それでもなお、やっぱり不安が残っちゃう、という方は、
厄年だ悪運だと騒ぐ当人達に対して、
『あなたは厄年だから運が悪いと言うけれど、
いったいそこにはどんな根拠と必然性があるの?』
と、問い合わせてみても良いと思います。
きっと、納得できる正当な理由は返ってこないはずです。
中には『統計学によると』という方もいらっしゃいます。
けれど、正しい統計学に基づいた計測値として、
『厄年』と言われるタイミングの運の良し悪しを分析したデータは、
この世界のどこにもないです。
あるはずのない統計データは、当然、根拠にも理由にもなりません。
そこを突っ込むと、『経験則として』という、
主観的で曖昧な、都合の良い解釈の通じるカードを持ち出す方もいます。
もしくは、
『○○が、そう言ってた』
『○○に、そう書いてあった』
『直感的に、そうに違いない』
なんて開き直る方もいらっしゃるかもしれません。
でも、人の運を語る時、そんな無責任な理屈は無しです。
誰かが言ってたとか書いてたとか、
理由はないけど、そう閃いたとか、
昔の人はみんなそうだったらしい、だとか、
そんな小学生みたいな言い分だけで、
『厄年』
という一言を用いて、人の不安に火をつけるなんて、ヒドイです。
ちゃんと陰陽学や五行学、運勢学・方位学・九星学の、
基本と基礎を学んでみてさえくれたら、
『厄年』という言葉がいかに乱暴で曖昧か、
誰にでも分かってもらえるはずなのです。
少なくとも、僕は知っています。
厄年じゃないのに、運が悪い人。
厄年なのに、運が良い人。
みんなも、そうでしょう?
『厄』が無いとは言えません。
『厄除け』が必要な人も、中にはいます。
けれど、『厄』が年回りで決まるなんてこと、ありえません。
ある定められた年齢の人が等しく厄除けをしなくてはいけない、
そんな単純なライフサイクルで割り切れるほど、
運は画一的なものではない、でしょう?
だから大丈夫です。
安心して自分の運と向き合い、
自信を持って、目の前の人生を生きまくって下さい。
運の良し悪しは、占い師が決めることでは決してない。
自分で決めて、自分で選び、自分で守るものです。
それでは☆
と言われた(もしくは見せられた)、僕の大切な人達へ。
または、来年、そういう年を迎えることになり、
『大変だね、大丈夫、お祓いしなよ』
と、頼んでもいないのに言われ聴かされた方々へ。
全く気にする必要はありません。
だからどうか、変に不安にならないで下さい。
そこに明確な根拠やロジックはありません。
そういう見方をする理由は、あるにはあるのですが、
それって主観的で偏ったバランスの悪い見方です。
そもそも。
『あんた厄年だから、しばらく不幸が続くよ』
『厄年の時は、一切何をやっても全部ダメだよ』
『厄年だよ!病気になるよ!お金が出てくよ!恋人と別れるよ!』
そういうことを軽々しく言ったり、無責任に見せたりするのは、
・本格的には運勢学を学んでいない人
・運勢学を専門としてはいない人
・自然の流れを誤解(曲解)している人
・不安を煽ることでビジネスチャンスを広げようとしている人
・そういう風に言わないと困るような特殊な事情を隠している人
だいたいが、このいずれかに当てはまります。
僕は、そこそこの運の知識を持ち合わせていて、
かつ、そこそこの年数、それを仕事としていて、
比較的ベーシックな考え方を根拠に、
フラットな裏表のない立場からお伝えします。
厄年だから運が悪い、なんてことは決してないです。
それでもなお、やっぱり不安が残っちゃう、という方は、
厄年だ悪運だと騒ぐ当人達に対して、
『あなたは厄年だから運が悪いと言うけれど、
いったいそこにはどんな根拠と必然性があるの?』
と、問い合わせてみても良いと思います。
きっと、納得できる正当な理由は返ってこないはずです。
中には『統計学によると』という方もいらっしゃいます。
けれど、正しい統計学に基づいた計測値として、
『厄年』と言われるタイミングの運の良し悪しを分析したデータは、
この世界のどこにもないです。
あるはずのない統計データは、当然、根拠にも理由にもなりません。
そこを突っ込むと、『経験則として』という、
主観的で曖昧な、都合の良い解釈の通じるカードを持ち出す方もいます。
もしくは、
『○○が、そう言ってた』
『○○に、そう書いてあった』
『直感的に、そうに違いない』
なんて開き直る方もいらっしゃるかもしれません。
でも、人の運を語る時、そんな無責任な理屈は無しです。
誰かが言ってたとか書いてたとか、
理由はないけど、そう閃いたとか、
昔の人はみんなそうだったらしい、だとか、
そんな小学生みたいな言い分だけで、
『厄年』
という一言を用いて、人の不安に火をつけるなんて、ヒドイです。
ちゃんと陰陽学や五行学、運勢学・方位学・九星学の、
基本と基礎を学んでみてさえくれたら、
『厄年』という言葉がいかに乱暴で曖昧か、
誰にでも分かってもらえるはずなのです。
少なくとも、僕は知っています。
厄年じゃないのに、運が悪い人。
厄年なのに、運が良い人。
みんなも、そうでしょう?
『厄』が無いとは言えません。
『厄除け』が必要な人も、中にはいます。
けれど、『厄』が年回りで決まるなんてこと、ありえません。
ある定められた年齢の人が等しく厄除けをしなくてはいけない、
そんな単純なライフサイクルで割り切れるほど、
運は画一的なものではない、でしょう?
だから大丈夫です。
安心して自分の運と向き合い、
自信を持って、目の前の人生を生きまくって下さい。
運の良し悪しは、占い師が決めることでは決してない。
自分で決めて、自分で選び、自分で守るものです。
それでは☆
コメント
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厄年真っ最中の私たち家族・・・今年1年は、本当に暦通りに
いい時、悪い時がありやっては、いけないことを心して過ごしてきた1年でした。
私と主人は北に、息子が乾です。
私たちは離婚をしないことを目標に((笑い))・・
大きな決断は避けて、過ごしてきたおかげもあり穏やかに過ごしてきたように感じています。あと、1月無事に過ごすこと。
息子は、本当に色々とあり、3回も車をぶつけ(今月23日にも当て逃げをされてきました)
会社で、けがをして御心配をかける・・・なんとも↓↓
正直、北にいる私たちより乾に回っているほうが厄年にあたるんじゃないかと思っているほどです。こんなに大きく吹き出すとさすがに・・・来年2014年は、いい年にしたいと思っています。
日頃から、Jr先生のご指導をしっかりと受け止め過ごしていきたいと思っています。
来年もどうぞよろしくお願いいたします。
・・余談ですが、以前北に回ったとき、地元の厄払いに行こう!と考えたことが。
実際いってみて、「ここに来ている人はみんな厄祓い!」と思って後味の悪い参拝になったことがありました。
行かないことで、運が良くなることもあるんじゃないかと自分で切り替えたこともありました。
りんごさん
コメントありがとうございます。
厄年かどうかは別として。
悪いことが起こったということは、
それまで潜在的に抱えていた悪いエネルギーが、
目に見える形で外へと噴き出た、ということ。
出た分、その心・体・魂は軽やかになり、
運に限って言えば、出る前よりも、良い状態になっていると考えられます。
(落ち込む心や、疲れる体、余計な出費等は現実的にのしかかりますが)
上記を踏まえ。
> 息子は、本当に色々とあり、3回も車をぶつけ(今月23日にも当て逃げをされてきました)
乾に回っている期間における、車関係のトラブルは、
教科書通りの典型的なデトックスです。
僕も2013年は乾に回っていましたが、
・高速道路でタイヤのパンク
・後方不注意での塀への衝突(自爆)
・飛石でのフロントガラス破損(12万円!)
など、ガクンと来ることがいっぱいありました。
その都度、厄除けの祈祷や祈願はしていませんが、
自分なりに塩・酒・水を用いてお清めをし、
そこから先は、軽やかになった自分の運で、
新しい未来を創れるように意識しています。