時々ふとしたきっかけで、
幸運と悪運の違いについて、
考えることがあります。
運が良い人。
運が悪い人。
両者の違いの中にこそ、
生きるヒントが見つかる気がして。
普段からそんなことばかりを、
モンモンと考えているわけではありません。
きっとみんなと同じような感覚で、
平凡に生活や仕事をしています。
ただ、ときどき、
いかにも運を感じさせられる出来事や、
縁の存在を見せられる偶然って、
あるものでしょう。
そこでスイッチが入るのです。
運って何なのだろうか?
運が悪いと言うことは、
本当に運が悪いのか?
ここで言う運が悪いとは、
分かりやすく例えれば、
以下のようなことになります。
→お金がない(稼ぎが少ない)→
→異性にもてない(縁に恵まれない)
→失敗が多い(実力が足りない)
→仕事が上手く行かない(仕事がつまらない)
→才能がない(生まれながらにツイていない)
などなど。
それらの一般的な“運の悪さ”は、
本当に運が悪いから起こる、
運の悪い人専用のイベントなのだろうか?
なぜそれが、僕の疑問の対象になるかと言うと、
→十分なお金を持ってるのに、不満を持つ人
→異性にはモテるけれど、縁に恵まれない人
→失敗は少ないけれど、成功も少ない人
→仕事以外のことが上手く行かず、悩んでいる人
→才能に恵まれていても、ツイていない人
そういう人が、現実にいるわけです。
しかも、少なくないのです意外に。
そうすると、
『あれ?お金があるって、幸運なの?』
『異性と同性、どっちにモテるのが幸せ?』
『失敗をしない生き方って、幸運な人生?』
とモヤモヤすることになります。
逆に運の良い人のことを眺め、
考えさせられることもあります。
例えば。
運が良い人でも、失敗はする。
運が良い人でも、資金繰りに苦労することはある。
運が良い人だって、恋愛に悩む。
失敗や苦労や悩みは、
運が良い人にも、悪い人にも、
ことの大小頻度の違いはあれど、
概ね等しく起こっているようです。
冬はどちらの人にも寒いです。
円安の影響は、大差ないはずだし。
でも、運は偏っているようです。
良い人のところには、さらなる幸運が。
悪い人のところには、追い討ちの悪運が。
その差は何なのか?
決定的な違いはあるのか?
あると思うのです。
例えばそれは、受け止め方です。
あらゆる出来事に対する受け止め方が、
運の良い人と悪い人で、異なります。
失敗を、次の成功のためのヒントと取るか、
単なる骨折り損の余計な手間と取るかで、
当人のその後の成り行きと最終的結果は、
明らかに違うものになります。
念のため確認しておきますが、
失敗や苦労や悩みそのものは、
運の良し悪しを判断する基準にはなりません。
それはどちらの側にも起こり得るし、
そこでは大差はつきません。
受け止め方の違いが、
最終的結果の違いにつながっています。
『仕事が上手くいかない/つまらない』
という場合。
それって、一部の限られた人にのみ起こる、
特殊な奇跡的例外ではなく、
多くの方が心当たりある日常で。
だから、仕事が上手く行かない=凶でも、
つまらない作業=悪運でもなくて。
そこで、
『だから工夫をして、より良く楽しくするんじゃん』
と考え動くのか、
『こんなくだらねえ仕事やってても意味なくね?』
と考え動くのかで、
出発地点は同じでも、
到達地点は大きく変わります。
すごく乱暴に要してしまうと。
その受け止め方だけで世界が一変します。
与えられた条件や、
その時点での状況の良し悪しに、
気を取られたままでいると、
本来の運を見落としてしまいがちです。
良し悪しに一喜一憂し、
出来事の優劣にばかりフォーカスしても、
最終的結果は変わりません。
素晴らしい出会いも、
心傷つく事件も、
『で、どうするか?』
によって、以降の流れが決まります。
運の良し悪しとは受け止め方の違いです。
それは、
『ものは考えよう』
みたいな脳内作業ではなくて。
受け止め方の違いによって派生する、
その後の成り行きの違いです。
より良い最終的結果に繋がる受け止め方。
それこそが、幸運の秘訣です。
それでは☆
ご質問はこちらのリンク先のコメント欄へ
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毎日の運勢や個人的に気になる出来事など、
身近な偶然の必然をつぶやいています。
フォローしていただけると嬉しいです☆


幸運と悪運の違いについて、
考えることがあります。
運が良い人。
運が悪い人。
両者の違いの中にこそ、
生きるヒントが見つかる気がして。
普段からそんなことばかりを、
モンモンと考えているわけではありません。
きっとみんなと同じような感覚で、
平凡に生活や仕事をしています。
ただ、ときどき、
いかにも運を感じさせられる出来事や、
縁の存在を見せられる偶然って、
あるものでしょう。
そこでスイッチが入るのです。
運って何なのだろうか?
運が悪いと言うことは、
本当に運が悪いのか?
ここで言う運が悪いとは、
分かりやすく例えれば、
以下のようなことになります。
→お金がない(稼ぎが少ない)→
→異性にもてない(縁に恵まれない)
→失敗が多い(実力が足りない)
→仕事が上手く行かない(仕事がつまらない)
→才能がない(生まれながらにツイていない)
などなど。
それらの一般的な“運の悪さ”は、
本当に運が悪いから起こる、
運の悪い人専用のイベントなのだろうか?
なぜそれが、僕の疑問の対象になるかと言うと、
→十分なお金を持ってるのに、不満を持つ人
→異性にはモテるけれど、縁に恵まれない人
→失敗は少ないけれど、成功も少ない人
→仕事以外のことが上手く行かず、悩んでいる人
→才能に恵まれていても、ツイていない人
そういう人が、現実にいるわけです。
しかも、少なくないのです意外に。
そうすると、
『あれ?お金があるって、幸運なの?』
『異性と同性、どっちにモテるのが幸せ?』
『失敗をしない生き方って、幸運な人生?』
とモヤモヤすることになります。
逆に運の良い人のことを眺め、
考えさせられることもあります。
例えば。
運が良い人でも、失敗はする。
運が良い人でも、資金繰りに苦労することはある。
運が良い人だって、恋愛に悩む。
失敗や苦労や悩みは、
運が良い人にも、悪い人にも、
ことの大小頻度の違いはあれど、
概ね等しく起こっているようです。
冬はどちらの人にも寒いです。
円安の影響は、大差ないはずだし。
でも、運は偏っているようです。
良い人のところには、さらなる幸運が。
悪い人のところには、追い討ちの悪運が。
その差は何なのか?
決定的な違いはあるのか?
あると思うのです。
例えばそれは、受け止め方です。
あらゆる出来事に対する受け止め方が、
運の良い人と悪い人で、異なります。
失敗を、次の成功のためのヒントと取るか、
単なる骨折り損の余計な手間と取るかで、
当人のその後の成り行きと最終的結果は、
明らかに違うものになります。
念のため確認しておきますが、
失敗や苦労や悩みそのものは、
運の良し悪しを判断する基準にはなりません。
それはどちらの側にも起こり得るし、
そこでは大差はつきません。
受け止め方の違いが、
最終的結果の違いにつながっています。
『仕事が上手くいかない/つまらない』
という場合。
それって、一部の限られた人にのみ起こる、
特殊な奇跡的例外ではなく、
多くの方が心当たりある日常で。
だから、仕事が上手く行かない=凶でも、
つまらない作業=悪運でもなくて。
そこで、
『だから工夫をして、より良く楽しくするんじゃん』
と考え動くのか、
『こんなくだらねえ仕事やってても意味なくね?』
と考え動くのかで、
出発地点は同じでも、
到達地点は大きく変わります。
すごく乱暴に要してしまうと。
その受け止め方だけで世界が一変します。
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気を取られたままでいると、
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それは、
『ものは考えよう』
みたいな脳内作業ではなくて。
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